バレンタイン前日、彼を看取ろうと決めた

2月の頭、祖父が亡くなった。
身近な人が亡くなるのは初めてだったが、それを聞いた時、そこまでショックは受けなかった。

納棺式と葬儀に出席することになり、初めてブラックフォーマルというものを購入し、実感の湧かないまま準備を整える。
祖父は寡黙で、少しひねくれた人だった。
葬式なんていらねえよ、そんなことを言っていそうな。
父も私もそんな遺伝子を受け継ぎ、自分が死んでも葬式なんて大層なものいらない、と思っている。骨はそのへんにまいておけばいいのに。

納棺式の日。祖母はどんな顔をしてくるだろうか。なんと声をかけたらいいか。
少しソワソワしながら待っていたのに、祖母はけろっとしたいつも通りの顔で現れた。

いつも通りの表情、いつも通りの会話、服装だけがいつもと違う。
仰々しい会場の装飾、祖父に似合わないたくさんの花。
横たわる冷たい体も、蝋人形みたいだな、と思った。


納棺の儀式は興味深かった。
不思議な儀式に参加しているな、としか思わなかった。
棺に故人が好きだったものや花を入れることはドラマか何かで知っていたし。
パチンコとゴルフが好きな祖父のために、ゴルフウェアやパチンコ店のカード、タバコが入れられ、会場内に少し笑いが起きた。
そんな様子をぼんやりと眺めていたのに。

祖母がひとつのお菓子を取り出したとき、突然涙が溢れて止まらなくなった。
祖母がカバンから取り出したのは、「最後までチョコたっぷり」のあのお菓子。
祖父はお菓子が好きなわけではない。
けれど祖母は「明日はバレンタインだから」とはにかみながら言い、そのお菓子をそっと棺に入れた。

それを見た瞬間から、私の中の「葬儀観」が変わった。
私がいらないと思っていた葬儀というものは、きっと亡くなった人のためではなく、遺された人のためにある儀式なのだと理解した。
亡くなったことを認め、故人への想いを語り合い、その人がいない日々を進むために必要な、さみしく、愛溢れる儀式だったのだ。

私にはいま一緒に住んでいる彼がいる。
彼がいないなんて寂しいから、彼の方が長生きしてほしいと思っていた。

彼に長生きしてもらいたいのは変わらないけれど
もしも彼を看取る日が来たら、
彼の好きなものをたくさん詰めて、見送ろうと決めた。

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