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【現代社会に向けたキリスト教の戦い】G・K・チェスタートン『永遠の人』

こんにちは。いつもお越しくださる方も、初めての方もご訪問ありがとうございます。

今回は永遠の人の英語版Wikipediaの翻訳をします。

翻訳のプロではありませんので、誤訳などがあるかもしれません。正確さよりも一般の日本語ネイティブがあまり知られていない海外情報などの全体の流れを掴めるようになること、これを第一の優先課題としていますのでこの点ご理解いただけますと幸いです。翻訳はDeepLやGoogle翻訳などを活用しています。

翻訳において、思想や宗教について扱っている場合がありますが、私自身の思想信条とは全く関係がないということは予め述べておきます。あくまで資料としての価値を優先して翻訳しているだけです。

永遠の人

『永遠の人』は、1925年に出版されたG・K・チェスタートン著のキリスト教弁明書である。この本は、H・G・ウェルズの『歴史の輪郭』に対する意図的な反論であり、ウェルズが描く人間の生活と文明が動物の生活から継ぎ目なく発展したものであり、イエス・キリストが単なるカリスマ的な人物であることに異議を唱えている。チェスタートンは自身の精神的な旅路を『正統』に詳述しているが、本書では人類、少なくとも西洋文明の精神的な旅路を描こうとしている。著者のロス・ダウサットは、「チェスタートンのいささかゆるい歴史の概略は、私がこれまで読んだキリスト教についての現代的な最良の主張の役割を兼ねている。チェスタートン流のスタイルに屈するしかないが、もし屈したら、気をつけてほしい。改宗される可能性がある。」と評している。

イギリスの作家・哲学者・文芸評論家G・K・チェスタートン
イギリスのSF作家H・G・ウェルズ

概要

ウェルズらが提唱した進化論的な歴史の輪郭によれば、人類は単なる動物の一種であり、イエスは傑出した人間であり、それ以上の何者でもない。本書の第Ⅰ部(「ヒトと呼ばれる生き物について」)で述べられているチェスタートンのテーゼは、もし人間を本当に冷静に、単にもう一つの動物として見た場合、人間は奇妙に変わった動物であるという結論に至らざるを得ないというものである。第Ⅱ部(「キリストと呼ばれるヒトについて」)では、もしイエスが本当に単なる人間の指導者であり、キリスト教と教会が単なる人間の宗教の一つであると見なされるなら、人はイエスが異様なまでに異常な指導者であり、その信奉者たちが異様で奇跡的なまでに異常な宗教と教会を創設したという結論に至らざるを得ないとチェスタトンは主張する。「過去とは、人類がただ自然の中に消え去ったり、文明がただ野蛮の中に消え去ったり、宗教がただ神話の中に消え去ったり、われわれ自身の宗教がただ世界の宗教の中に消え去ったりするようなものとして、最も真実に描かれるものだとは思わない。要するに、歴史の輪郭を描く最善の方法は、線を消すことだとは私は思わない。」

C・S・ルイスへの影響

 C・S・ルイスは、ジョージ・マクドナルドの著作が彼の想像力に洗礼を授けたように、『永遠の人』が彼の知性に「洗礼」を授け、キリスト教を受け入れる前に半分以上改宗させたと述べている。1950年にシェルドン・ヴァノーケンに宛てた手紙の中で、ルイスはこの本を「私が知っている中で最高の一般向け弁明書」と呼び、1947年にはロンダ・ボドルに宛ててこう書いている。「私が知っている限り、キリスト教の立場を完全に擁護する最も優れた大衆的弁明書は、G・K・チェスタートンの『永遠の人』である」。同書はまた、『クリスチャン・センチュリー』誌の「ルイスの職業意識と人生哲学を最も形成した10冊」のリストにも挙げられている。

アイルランド系のイギリスの作家C・S・ルイス
スコットランドの小説家・詩人・聖職者ジョージ・マクドナルド

コメント

『永遠の人』(邦題は『人間と永遠』)の第Ⅵ章「悪魔と哲学者」の中に、カニバリズムについての言及があります。

これまでも私は西洋世界のカニバリズムについて少し言及してきましたが、チェスタートンはニュージーランドのマオリ族の洗練された部族とパリの黒ミサとを比較しています。

遅かれ早かれ、人は思いつく限り最も嫌なことをするようになる。悪の限りを尽くすことで、世界の水面下にある邪悪な力から、ある種の注意や答えを引き出すことができると考えられている。これが、この世に存在するほとんどのカニバリズムの意味である。ほとんどのカニバリズムは、原始的なものでも、獣的な習慣でもない。人為的であり、芸術的ですらある。芸術のための芸術のようなものだ。人はそれを恐ろしいと思わないからするのではなく、逆に恐ろしいと思うからするのである。文字通りの意味で、彼らは恐怖に酔いしれたいのだ。だからこそ、オーストラリアの原住民のような無骨な人種は食人でないことが多いのだが、ニュージーランドのマオリ族のような洗練された知的な人種は食人であることがあるのだ。彼らは洗練され、時には自意識過剰な悪魔主義にふけるほど知的である。しかし、もし彼らの心を理解することができたなら、あるいは彼らの言葉を本当に理解することができたなら、おそらく彼らは無知な、つまり無邪気な食人族として行動しているのではないことがわかるだろう。間違っていないと思ってやっているのではなく、間違っていると思ってやっているのだ。パリの退廃的な黒ミサのように。しかし、黒ミサは本物のミサの存在から地下に隠れなければならない。言い換えれば、キリストが地上に現れて以来、悪魔は本当に隠れているのだ。高等蛮族のカニバリズムは、白人の文明から隠れているのだ。しかし、キリスト教以前、特にヨーロッパ以外では、必ずしもそうではなかった。古代世界では、悪魔はしばしばドラゴンのように海外をさまよっていた。悪魔は神々として公然と祭られることもあった。その巨大な像は、人口の多い都市の中心にある公共の神殿に設置されることもあった。このような邪悪なものはすべて原始的で進化の初期段階であると語る現代人が不思議なほど見落としている、この驚くべき確かな事実の痕跡は、世界中のいたるところで見つけることができる。

ジャック・アタリのカニバリズム論も基本的には無知蒙昧から生み出されたものではなく、チェスタートンが指摘するように、むしろその逆で、この世界の邪悪な力から答えを導き出そうとしていると見做した方が正解に近いのではないかと思います。ジャック・アタリが「ヨーロッパの知の巨人」と称されるのも納得できます。

当時のイギリスでもパリの退廃的な黒ミサの話は噂話、今風にいえば、陰謀論や都市伝説として伝えられていたのでしょう。実際に事実として言いますと、ジャンヌ・ダルクと行動を共にしたジル・ド・レやルイ14世から寵愛を受けたモンテスパン侯爵夫人など、歴史はベールに包まれたこれらのヨーロッパの暗い文化にしばしば光を照らしてきました。

社会がより科学的に、より文明的になるに従い、ヨーロッパではますますキリスト教的価値観は無意味なものとして軽蔑され、冷笑されていったように思われます。

そんな中で、現代の人々にキリスト教の真の意味を再び問い直したチェスタートンの知的活動は、宗教全般に懐疑的な私にも、それなりに共感できる部分があるというのは告白しないわけにはいきません。

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