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ジャック・アタリ『カニバリスムの秩序』について――生のシーニュ

これまでも何度かジャック・アタリについては触れてきました。ジャック・アタリという名前について聞いたことがない方もいると思いますので、彼について少しだけ説明します。ジャック・アタリは1943年生まれのフランス領アルジェリア生まれのユダヤ系フランス人で、フランスのミッテラン政権以来長期にわたりフランス政権の中枢で重要な役割を演じてきた人物であり、初代欧州復興開発銀行の総裁でもありました。かつて存在したフランス成長解放委員会の委員長であり、この委員会では、ロスチャイルド銀行のマネージャーだった現在のフランス大統領エマニュエル・マクロンが副委員長を務めています。

現在では、日本のNHKなどがしばしば世界危機が起こるたびに、「ヨーロッパの知の巨人」と称されるジャック・アタリに意見を求めるというのが慣例となっており、日本の言論界にも非常に大きな影響力をもっているといっても全く言い過ぎではありません。

今回取り上げますのは、ジャック・アタリの1979年の著作『カニバリスムの秩序』であり、カニバリズム(食人行為)をテーマにした内容になっています。

エゼキエル書とカニバリスム

まずはこの書作の始まりと終わりのみを見ていきます。

旧約聖書エゼキエル書で始まり、エゼキエル書で終わっています。この著作にはユダヤ人としてのジャック・アタリの精神性がよく表れていると個人的には思います。一方で、カニバリスムをテーマにしたこの著作は、科学的であるよりも遥かに、宗教的なもの、そして彼の宗教観を前提とした合理主義的なものであるといっても過言ではないでしょう。

エゼキエル書についてAIにその内容を聞いて見ましょう。

「エゼキエル書」は、旧約聖書の一部であり、ヘブライ語聖書に含まれる預言者エゼキエルの書として知られています。この書は、エゼキエルがバビロン捕囚中のユダヤ人たちに対して預言を行ったものであり、主に彼らの帰国と再建に関するメッセージを含んでいます。

エゼキエル書の中心的なテーマは、イスラエルの罪とその結果としてのバビロン捕囚についての啓示です。エゼキエルは、イスラエルが神に背いたこと、偶像崇拝や道徳的な腐敗が蔓延したことを厳しく批判し、その結果としてバビロン捕囚が起こったことを説明します。また、彼は神が再びイスラエルを復興させる計画があることを預言し、神が再びイスラエルを救うために介入することを示します。

エゼキエル書には、様々なビジョンや奇妙な象徴が含まれており、その解釈は複雑であることがよく知られています。しかし、書の基本的なメッセージは、神の正義とイスラエルの救済に関するものであり、聖書の中でも重要なテーマとなっています。

エゼキエルの預言の内容は、神が再びイスラエルを復興する計画があること、再びイスラエルの救済に介入することとあります。

『エゼキエル書』の細部を見ていけば、カニバリスムを思わせるような内容があり、そういった内容にユダヤ人のジャック・アタリが共鳴しているという点については日本人は知っておいた方がよいと思います。

目次

『カニバリスムの秩序』は以下のような構図になっています。

シーニュという言葉について初めて触れる方もいるかもしれませんので、AIの力を借りてその意味を深掘りしていきます。

「Signe」はフランス語で「サイン」や「記号」という意味を持ちます。これは、言語以外のものを伝えるための視覚的なシンボルを指す場合があります。例えば、道路標識や絵文字などが該当します。また、手話や身ぶり手振りなどの身体的なジェスチャーも「signe」と呼ばれることがあります。一方、「signe」は文書や合意書において署名を指す場合もあります。

シーニュというのは英語で言うところのSignの事で、近代に入ってからは哲学的な意味で用いられることがあります。

哲学的な文脈で「Signe」という用語が使用される場合、それは通常、フェルディナン・ド・ソシュールの言語学における「サイン」(Sign)の概念に基づいています。彼によれば、サインとは、意味と形式(音声や文字)との関係を指します。つまり、サインはある種の記号であり、それが何らかの意味を表現するために使用されるということです。この概念は、後にアメリカの哲学者チャールズ・サンダース・パースによって発展し、彼の「サイン理論」の中心的な概念となりました。この理論によれば、サインは、対象(物事や概念など)、表現手段(音声、文字、イメージなど)そして解釈者の間の関係性によって構成されるものであり、文化や社会の背景によってその意味が異なる場合があるとされています。

記号学あるいは記号論と呼ばれるものが、スイスの言語学者フェルディナン・ド・ソシュールとアメリカの哲学者チャールズ・サンダース・パースという二人の人物から生まれています。分かりにくいかもしれませんが、ぼんやりと「象徴」や「記号」みたいなものと考えるといいかもしれません。

四つの時代

ジャック・アタリは「生のシーニュ」という序文において、『神々の
シーニュ』、『体のシーニュ』、『機械のシーニュ』、『コードのシーニュ』という四つの時代があるといい、現在はまさに『コードのシーニュ』という時代に突入しようとしているといいます。

『カニバリスムの秩序』はこの『神々のシーニュ』、『体のシーニュ』、『機械のシーニュ』、『コードのシーニュ』という全4章に分かれており、これらの時代について説明されています。

ジャック・アタリの説明によると、『神々のシーニュ』の時代は宗教、聖職者によって「悪」が治療されていたといい、『体のシーニュ』の時代には警察、行政官によって「悪」の治療がなされてきたといいます。

産業革命が起こると警察や行政官によって隔離されていた患者が、医者という存在によって治療される『機械のシーニュ』の時代となります。

そして今まさにその次の時代として、遺伝学、情報学によって『コードのシーニュ』の時代に突入していくとあります。

ここまでの説明で、カニバリスムと何の関係があるのだろうと思われるかもしれません。しかしこの著作は、特に『神々のシーニュ』など序盤は、ほぼカニバリスムについての説明に終始しています。

ジャック・アタリがいうには、「悪と闘うこと」と「病を食べること」は同じ意味であり、彼のいう「秩序」とは「カニバリスム」と同じ意味になります。

ここまで聞いて何を言っているのかわからないと思われるかもしれませんが、恐らくその反応が真っ当な反応だと思います。ヨーロッパでは近代に入っても、良かれ悪しかれこのような「非科学的な」言論で溢れています。

チャールズ・パースが私たちの信念を確定させる方法として、科学的方法以外にも、固執の方法、権威の方法、先験的方法というものがあるということを暴露していますが、良し悪しはともかくヨーロッパではこのような良くわからない言論が溢れており、実際に権威化されています。

私たちはそれを非科学的なものとしながらも、彼らの言論を分析する必要があります。読み進めていくと彼らのドグマが見えてくるからです。

神話と歴史をひもとくかぎり、《悪》との闘いと《悪》祓いの最初の形態、それは《悪》の嚥下えんげであったように思われる。《神々》、《体》、《機械》の秩序という舞台の上で相次いで演じられるもの、それは自らを損なうことのないように、適応した《カニバリスムの秩序》なのである。

p9

ジャック・アタリは聖職者、警察、医者による治療の中にカニバリスムを見出しています。

カニバリスムに対する反逆は、生と死の受容、差異と自由の要求、《悪》の歴史についての真なる認識ぬきには生じない。この反逆は、世界、そこでは、他者を食べることが孤独を逃れるための唯一の方策であることをやめ、他者によって食べられることが未来へと至る唯一の途であることをやめる世界を構想し、生み出してゆくだろう。

p10

ジャック・アタリのいう「カニバリスムへの反逆」が、彼が考えるカニバリスムを終わらせるものなのか、カニバリスムを加速させるものなのか、私は知りません。そして知りたくもありません。しかし知っておかなければならないことは、現在のフランスをはじめとする欧米諸国とそれに追従する日本のような国家の政策には、確実に彼の「カニバリスムの秩序」についての構想が反映されているということです。

その点に触れるためには『コードのシーニュ』についての彼の言論に触れなければならないですが、ひと先ずはそこには触れないでおきます。これまでの記事の中で触れていますが、「コロナパンデミック」も既に1979年には彼の構想の中にあったということくらいは述べておきましょう。

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