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ありがとうの価値

 私はメールの返信やチャットの応答の際にできるだけ「ありがとう」と書くようにしています。例えば誰かから報告を受けたら「報告ありがとう」。お客様からメールの返信を頂いた際には「ご返信ありがとうございます」という具合です。

 ところがこの話を以前所属していた会社で話した時に、社長や上層部の人たちからこのような事を言われました。

 そんなに「ありがとう」簡単にを使うと「ありがとう」の価値が下がる

 私は目を丸くして驚きました。(ちなみにそのあと一同笑いが入ります)一瞬彼らが何を言っているのか意味が分かりませんでした。ありがとうの価値が下がるってどういうことなのだろう?その数か月後に私はその会社を退職することにしました。これだけが理由ではありませんでしたが。

ドラマのワンシーン

 例えばドラマやアニメでこんなシーンを見たことはありませんか?

 借金や暴力で家族に散々迷惑をかけた無職の夫が病院のベッドの上でついに臨終を迎えようとしています。妻子が見守る静かな病室。計測器の信号音が弱々しい心拍数を伝えています。つい先ほど担当医からは今夜が山でしょうと聞いたばかりです。
 そしていよいよその時。夫は妻の手を握りしめ最後の一言を発します。

「すまなかった」

 心拍数が測定不能となり計測器からはピーという無機質な信号音。見守っていた家族の嗚咽が病室に響き、やってきた担当医が臨終を告げます。

 私はこの「すまなかった」が大嫌いです。そしてそれですべてをチャラにしてしまう心理描写も大嫌いです。

 他にも刑事もののドラマなどで殺害された役者が死に際に

「ぅう、お、俺を刺したのは、〇〇、っだ(バタッ)」

 いじめられて死を選んだ学生の遺書に

「〇〇を許さない」

 みたいなのも嫌いです。

 何故これに嫌悪を覚えるのかというと、言葉の重みを増すために死を利用しているからです。そんなタイミングで偽りの言葉を言うことはないだろうという訳です。
 ですが考えてみてください。例えば最初の例。迷惑をかけられとてつもなく辛い時間を過ごした家族がその一言ですべてを許すことができるでしょうか?その夫にどれだけの時間を奪われたか。そう考えると私は引いてしまいます。
 だったら普段からすまないと言え。いや、すまないと言っている暇があったら働け!お前が惨めなんじゃない。お前に関わってしまった家族が惨めなんだ!謝って済むと思うな!

言葉の価値は貯められるのか?

・月に1回しか「ありがとう」と言わない人の「ありがとう」
・普段から「ありがとう」と言う人の「ありがとう」

 この二つは本当に価値が違うのでしょうか?
 私にはどちらも同じに思えるのです。いや、むしろ前者のありがとうは本当に心から言っているのか疑問です(天邪鬼ですね)確かになんでもかんでも「ありがとう」と言うのも違います。ですが当たり前だから「ありがとう」と言わなくていいというのも違います。

 人間は生まれてから死ぬまでを一人で生きていくことはできません。いつも誰かに助けてもらい、そして自分も誰かの役に立ちながら生きています。
 人間関係を円滑にするために「ありがとう」という感謝の言葉があり、その言葉の価値が高い低いとかはそもそもおかしいと思うのです。

「言葉の価値」 =「 その人の価値」

 私にどれほどの価値があるのかは私には分かりません。ですが敢えて言います。言葉の価値はその人の価値と同じだと思うのです。つまり、

何を言うかではなく、誰が言うか

 です。
 お金は貯めれば大きな買い物ができます。ですが言葉はそうはいきません。言葉は貯めるのではなく、それを発する自分の価値を高めるしかないんです。

 そして「ありがとう」を言うからこそ、その価値は高まるのではないでしょうか。
 些細なことに気が付いてくれて「ありがとう」と言われればまたやろうと思いませんか?いつも美味しいご飯を作ってくれる人に「今日も美味しいご飯をありがとう」と言ったことはありますか?自分がご飯を作った時にそういわれたらまた作ろうと思いませんか?

 普段から言っていると価値が下がる?そんな発想をしていること自体その人に価値がない証拠です。価値がないから「発言しない」=「価値を貯める」という発想になるんです。

何よりも支えになるは家族の「ありがとう」

 我が家は洗濯を分担しています。妻が洗濯して干し、翌日私が取り込みたたみます。妻は毎日必ず「洗濯物ありがとう」と言ってくれます。必ずです。私も妻にできるだけたくさんの「ありがとう」を言いたいと思います。
 そしてその想いは当社で一緒に働いている皆さんやお世話になっているお客様へと繋がっていきます。

 一方で「ありがとう」を言わない人をそれだけで評価しないという意識も必要です。これはいつも言っている「バランス」です。
 いろんな心情があってタイミングを逃すこともあります。気恥ずかしくて言えないこともあります。
 良くないのはその状態をそのままにしておくこと。

 これではダメだ。ちゃんと言えないと駄目だと気が付き行動に移せるようにならなければいけません。だから私は「ありがとう」と言えないことを責めません。ですが言えないままの自分でいることを良しとする考え方は受け入れられません。明日は必ず「ありがとう」と言えるようにならないと何も変わらないんです。

 採用面接をする際に「お客様からありがとうといって頂いて嬉しかった」という人を目にします。言われる人になったのであれば、次は「ありがとうと言えてうれしかった」と思える人になりたいですね。

 最後まで読んで頂きましてありがとうございました。

ユニコ社員のnote


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