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陰茎と勤労

 無害で無駄な巨大陰茎こそ、日本を救う。

 陰茎の長さには差異があるということに気が付いてから男は初めて人生をスタートできる。長短に一喜一憂するのが10代だとすれば、20代以降は「長ければ必ずしも良いという訳ではない」というテーゼを基に振る舞う権謀術数を身に付ける。陰門から膣に至る女性器の容量を取り敢えず過少に評価しておくことで自身の陰茎サイズを正当化できるのは、理性の賜物なのだろう。当然、増大アプリや器具に救いを求めてもいい。パイプカットすれば、逆に強い陰茎になると思う。老いゆく母親の顔に刻まれるほうれい線と、放尿時に確かめる亀頭の皺の本数に悲観する必要はない。スプレットタンのように真っ二つにぶった切れば陰茎は見かけ上は2倍になるが、機能面での価値は変わらないから意味がない。しなびた陰茎を保有しながら嬉々として後輩にガシマンを行うも拒絶されて町を彷徨う怪物にならなければ、問題ない。

 僕って自分が仕事をさぼることは平気で許せるんですが、他人が労働を舐めた態度で従事しているのを見るとモヤモヤっとしてしまうんですよね。バイト先や会社を馬鹿にしたり愚痴や嫌悪感を吐露したりする言葉がTLを流れるたびに、「お前、そんなんでいいのか」「誰に食わせてもらっているんだ」と、毎回怒っている。自分は平日の就業時間中に家の寝床でごろごろしてツイッターを見ている。つまり、ごろごろさぼりながら労働を舐めている他人に対してこっそり刃を向けているんですよ。悲しき感情の通り魔。だけど、それにしても、労働を過度に軽視することで周りから共感を得ようとする人たちから感じとれてしまう、わざとらしさといじましさは何なのだろう。

 労働市場に適さず働けない人たちがいる。そんな無職は時として、輝く。そこに謎の憧れを抱いてしまった持たざる労働者は、働くことを軽んじるツイートをパスポート代わりに、その光へ至ろうとする。雇用と賃金を得ながら、つまり職を失わずして自分も発光しようとする。無職は好きで輝いている訳でもないのに、そいつは何も失うことなく簡単に称揚の場に立とうとする。

 そんな奴に余暇も文化も自由もいらねえ。決められたタイミングでボタン押すことを強いられるが何も生み出さない「無の生産工場」で一生鎖につながれていてくれ。あるいはゴミ捨て場ですらない無駄で巨大な穴を24時間休みなく死ぬまで掘り続けていてくれ。いつか天から降りてきた面白ナンセンス巨大ちんぽがそこに挿入された時、きっと救われるから、きっと、いつか。