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わたしが銀行を退職した理由

こんにちは!
イノウエトモキです!

自分は新卒で地方銀行に入社したのですが、約4年半で退職をしました。
現在は介護系のIT会社で営業や営業企画等を行っています。

今日は今まで語られることのなかった(?)銀行退職の真相について記したいと思います。

はじめに!

まずはじめに、転職のきっかけについてお話したいと思います。
きっかけはですね、大変お恥ずかしいのですが、当時お付き合いしていた女性にマッハで振られたことなんです…

「中学生かよ!!!」

と、当時馬鹿にされていました。笑

自分の中で何かを変えなければいけない。
そしてそれは一番大きなものでなくては意味がない。

そう考えたとき、頭に浮かんだことが「仕事を変えること」だったのです。
そのきっかけから決意に至るまでの理由についてこれから見ていきます。

①等身大の自分の価値

当時勤めていた地方銀行は第一地銀(ざっくり言うとその県で一番大きい銀行)だったため、県民であれば知らない人はいませんでした。
どこへ行っても○○銀行の井上くん・井上さんとして見られ社会的信用の高さを感じていました。

もちろん信用していただけることは大変ありがたいことなのですが、
それが「銀行員」だから信用されているのか、それとも「井上知紀」だから信用されているのか分からなくなってしまったのです。

営業をしていても〇〇銀行と名乗れば玄関や入り口を開けてくれたり話を聞いてくれたり。
合コンを開くにしても「銀行員連れてくるよ」と言えば喜ぶ人もいたり。

当初はその社会的信用力を存分に利用していましたが、次第に大きな看板を下ろして等身大の自分の力や価値を見てみたい、そう思うようになったのです。

②人間関係は自分で決めたい

初任地は仙台だったのですが、3年目に沿岸部の田舎町に転勤となりました。

仙台までは片道2時間運転(もしくは新幹線+ローカル線!)する必要があるため、イベントや飲み会に参加できたとしても基本的に土曜日のみ。

平日に誘われる飲み会は全て断り、また日曜日に行われる結婚式なども早めに帰らなければいけませんでした。

「次いつ転勤できるか分からない」
「できたとしても、また地方の田舎町かもしれない」

せっかく仙台で知り合いがいっぱい増えたのに、人間関係を会社都合で決められてしまうことに違和感を持ち始めました。

「このままで自分は幸せになれるのだろうか…」

所詮人は自分が一番かわいいと、自分の弱さを感じた瞬間でもありました。

③将来に対し憧れを抱けなかった

大手企業だとそうだと思うのですが、人事制度がしっかりしているため1年後、3年後、5年後など数年後の姿がある程度想像できます。
(もちろん、評価されないと到達できない領域もあります)

残念ながら私の場合、その将来に対して憧れを抱くことができませんでした。これは銀行が悪いとか、周りの人が悪いという話では全くありません。

私はサッカーも野球も好きですが、野球選手になりたいとは思わないことと同じだと思います。

要するに人の好みや相性です。

たまに「銀行に入ってよかった?」と聞かれることがありますが、自分は良かったと思っています。

ありがたいことに銀行では上司、先輩、同期、後輩、お客様にいたるまで恵まれました。

社会人の基礎を叩き込んでくれたこと、多くの優秀な仲間に出会えたこと、本当に感謝しています。

いつか成長した姿を見てもらうために、自分は前に進み続けるしかないのです。

理由は1つじゃない!

退職当時はよく「なんで辞めたの?」と聞かれたのですが、
以上のように理由は1つではないんです!

なので聞かれると端的に答えるのが難しかったんですよね…

親には「仙台市内の支店だったら辞めなかったの?」なんて言われましたが、たしかにもう少し長く続けていたかもしれません。

でもそれはきっと仙台での生活が楽しいからという理由だと思います。

結局その田舎町では約2年間生活をしました。
田舎町には田舎町の良さがあり、楽しい思い出もいっぱいあります。

今でも盛岡(父の家系)、新潟(母の家系)に次ぐ第3の故郷のように感じています。

さいごに

あまり長くなると読みにくいかなと思い今回は「理由」のみにフォーカスし、なおかつ端的にまとめています!
ただ、自分の転職活動は本当に大変だったんですよ。

明日のジョーのように真っ白な灰になった日もあれば、井上の乱も起こしました。笑

もし興味がある方がいらっしゃればまた別の機会にまとめてみたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました!



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