パッケージの中から
住んでいる地域では、燃えるゴミ、資源ごみ、ビン・缶・ペットボトル、燃えないゴミ、雑紙、木・草、といった感じで分別する
我が家で一番量が多いのは、資源ごみ、いわゆるプラゴミだ。
週1回だと、ゴミ袋がパンパンだ。だいたい2袋。
なんせ買い物をすると、パッケージはたいていプラゴミ。
漫画もビニールに包まれている。
化粧品もビニールに包まれている。
箱お菓子もビニールに包まれている。
なんならペットボトルのラベルも剥がして。
お肉を買っても、お魚を買っても、
野菜をかっても、パッケージはプラゴミ。
世の中パッケージ。
パッケージが彩を与えてくれているけれど、
買い物が終わったら、遅かれ早かれ捨てなければならない。
ふりかけが小分けにされていて、食べるたびにプラゴミ。
味付け海苔も食べるたびにプラゴミ。
納豆も食べるたびにプラゴミ。
買い物が終わったら、
開けてしまったら終わってしまうパッケージ
プラゴミ。
この役目を終えたプラゴミに
価値があるのなら、すごいことなんだけれど、
この量のプラゴミを家に取っておくわけにはいかない。
捨てるしかない。
パッケージを作るって、
大きな経済で、
デザインをして、組み立てて、供給して、
今度はそれを処分して、リサイクルはどうなっているのかよくわからないけれど、
このパッケージというプラゴミ一つに、大きな経済圏があるんだけれど、
何か大きなもったいないがそこにはあって、
でもそれって、どこか”もったいなくない”になってしまっているかもで、
素敵なパッケージに、新たなデザインや経験があるんだけれど、
そこに大切な文化もあるんだけれど、
一週間で、たくさんプラゴミがたまって、
火曜日の朝に捨てる。
これのどこかは、もったいなくて、
だけど、そうも言いきれなくて、
使命を終えたパッケージたちが、
すーっと葬られていたら、
するっと再生していたら、
多分全然違うんだろうな。
ぼくも、このサイクルから離れられないけれど、
ちょっと考えなくちゃ、
もったいないから。
簡単には、断ぜないところの、“もったいない”だから。
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