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新しい街に引っ越した

2021年2月。

大学入学を機に住み着いて以来、16年過ごした京都府京都市を離れ、兵庫県芦屋市に引越した。

京都での生活は楽しかった。

大学では、勉強はそこそこに軽音サークルで結成したバンドで音楽活動に勤しむ日々。就職活動もしなかった。(一度だけ、大学の就職支援センターに行くには行ったが、80秒くらいで帰って二度と行かなかった)

留年もした。留年を報告しに実家に帰った時は、めちゃくちゃ母親に怒られた。小学3年生の時、家のカーペットに習字に使う墨汁をまるまる1本こぼした時でさえ、あんなに怒られなかった。

その代わりといっては何だけど、全力で遊んだ。木屋町で倒れるまで飲み、ライブハウスで倒れるまで飲み、友達の家で倒れるまで飲んだ。ライブもたくさんやった。

楽しくも愚かな京都での生活。沢山の人に支えられ、助けられたおかげだな、と常々思う。皆様のお陰でなんとか生命を維持することができました。

好きな人たち、好きな店、好きな場所。
思い出がたくさんあり、大好きな街。

すっかり京都に根を張ったと思っていたので、いざ京都を離れるとなると、やはりそれなりに辛かった。引越しの1か月ほど前くらいからは、かなりセンチメンタルになっており、夜な夜な京都の街をあてもなく徘徊したり「このコインランドリーに来るのも今日が最後か……」と、一回も使ったことないコインランドリーに入ったりしてて、だいぶヤバかったと思う。

無限に続く飲み会、朝まで終わらない無駄話、その中で出会った人たち、そういったものの集積の果てに今の自分がいる。

人生の半分を過ごした街と、自分を切り離して考える事になんだか違和感のようなものすら感じていた。それくらい京都に愛着を感じていたのだ、と離れる事になってようやく気がついた。

芦屋市に引っ越して2ヶ月。

「芦屋に住んでる」というと、よく「お金持ちですね!」と言われるが、全然そんなことない。東京でいうと、調布市の人が「いや全然そんなことないよ」と言われ飽きた雰囲気で答える感じに似てると思う。京都に住んでる時の方が家賃も水道代も高かった。通帳、見せたろか。

そりゃまあ、確かにお金持ちが住むエリアはある。ベンツもよく見かける。けど、まあ、所詮ベンツ程度であって、何もロールスロイスやポルシェがブンブン行きかってるわけじゃない。その程度よ。

(※ちなみに私は免許も車も持ってません)

この街は広々として、落ち着いている。公園が沢山あり、海が近くにある。優しく、上品な人が多い。

そして、美味しいパン屋さんが沢山ある。こじんまりとして丁寧な洋菓子屋さんがある。ワインと料理を手頃に楽しめるビストロがあり、夕方、夕日を見ながら一杯やれるオシャレなバーがある。

そして、牛丼屋が1件もなく、天下一品がなく、王将がなく、ガチャガチャした居酒屋がなく、立ち飲み屋がなく、友達がいなく、端的に言って、自分の居場所がない。

さみしい。

それでは、京都に帰りたいのかというと、割とそうでもない。

毎日少しずつ、自分が新しい街に馴染んでいっているのを感じる。別に自分が上品で優しい人間になりつつあるというわけではなく。

いつもコンビニでワタワタしつつも一生懸命働くおばちゃんや、駅前の小さな商店街の古い喫茶店や、神社や、街の灯りや風景に、自分でも気づかないうちに励まされ、親しみを感じ始めてるのかもしれない。

引っ越しをしてからもちょくちょく訪れる京都は相変わらず最高の街で、「やっぱ良いな〜」と感じる。札幌、那覇、富山、三沢、広島、博多、長崎、香川……ほかにも、大好きな街がたくさんある。

今はまだ近所に住む友達や、馴染みの店はないけど、いつか自分の住む街が、その中の一つに加わるような、そんな出会いや経験ができればいいな。と思いながら、今日も所在なさげにコンビニの前でレモンサワーの缶を握りつぶし、帰路に着く。

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