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創作したい、という焦燥感

とても久しぶりに友人たちと通話をした。相変わらず、創作活動に熱心だ。いつもその友達は同人誌を作っている。1年に何冊も描く。わたしと同じように会社勤めをしながらコンスタントに趣味の創作活動を続けられていることにびっくりさせられる。

友人の多くが、絵を描くことを日常にしている人だ。その人たちを見ていると、絵を描けない自分がひどく貧しい人間であるような気がして、劣等感のような、焦燥感のようなものを感じることが多かった。

絵は描けないが、小説なら。そう思って始めた創作活動は、結局日常レベルにまで身に着くには至らなかった。書く日より書かない日のほうが、ずっと多い。表現したい内容など無いから書けないのだろうかと悩むこともあった。わたしはクリエイター向きではなくて、周りの人間がクリエイター気質だから、感化されているだけなのだと。

周りが熱心に創作をする→自分も創りたくなる→結局何も創れず、悶々と悩む。この思考の繰り返し。だが思い返してみると、小説を書き始めて5年経つ。ぽつ、ぽつと書いて、おそらく全て合わせると数十万文字くらいにはなると思う。わたしは決して全く書いてないわけではないのだ。なのにどうして、何も生みだしてない自分が苦しいと思ってしまうのだろう。

結局のところ他人と自分との比較という無駄な行動。絶えず創作を続けるタイプの人もいれば、わたしのように閃いたときにだけ書くという人もいる。それでいいではないか。…という、怠惰のための言い訳。閃かない時にも創作をしたい、でも面倒くさい。というかそもそも、書きたい、書きたいと思っているから、最終的にわたしはこんな場所で書いているではないか。

世界に何かを残したい、という思いを抱いている人のちょっと常軌を逸した情熱によって、あらゆる芸術作品やエンタメ作品が生まれ、見ている人のマインドと化学反応を起こしながら徐々に盛り上がり、洗練されていく。わたしは創作をする人が好きだ。

同人誌をごりごり描く友達は、わたしが小説を書き始めたとき、嬉しかったらしい。小説を書けばいいのに、とずっと思っていたからだとか。きっと学校で図書委員をしていて、とにかく本が好きだったわたしを見てそう思ってくれていたのだろう。

わたしが書いた小説を読んで、目の前で感極まって泣き出した人がいた。居ても立っても居られずにすぐに感想をくれた人も。嬉しかった。もう一度、同じ体験をしたいと思うほどに。

本当に不思議なことなのだけど、読んでほしい、気に入ってほしい、ウケたい、褒められたいと思って書いたものって、全然だめで。自意識、みたいなものがほとんど消えて夢中で書き進めたものは、高い評価をもらえたし、自分でも気に入った。

創作をしたい。友達みたいに、熱心に。完全に自己満足で書きたい。難しいけれど、それでも。文章を書いている時、ほとんどわたしは無心だ。すっきりするのだ。ああわたしは文章を書くのが好きなのだ。誤魔化しのきかないわたしの本心だ。承認欲求とか、そういう邪魔なものたちは引っ込んでいてください。わたしが創作をするのに、要らないから。

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