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4日間旅した傘

その朝は雨が降っていた。会社に着いた頃には靴下がすっかりびしょ濡れだった。職場の人たちと草むしりをする予定だったけれど、無しになってしまった。

仕事を終えて会社を出ると、雨は止んでいた。少しだけ青空が見えた。気分が良かったので、そのまま電車に乗って大きな街で降りた。資格の勉強をしろと上司に言われたので、新しいノートを買いたかったのだ。

ノートを買い、行きつけのレストランで夕飯を食べた。幸せな気分でまた電車に乗り、家に帰り着いた。その時に気がついた。傘がない。

さて、わたしはどこに傘を置いてきたのだろう?

正解は夕飯を食べたレストランだった。翌々日。また電車に乗り、傘を取りに(そしてその店でランチを食べに)出かけた。傘はレジ横の傘立てに大切にされていた。「ああ、傘のお客さん!」はい、傘を忘れてすみません…。お会計の時も、「傘は持ちましたか?」といわれた。ええ、もう忘れません!ありがとうございます。そう言って店を後にした。

また電車に乗って、家に帰る。短い間に2回もあのお店のご飯を食べることができて、幸せだ。そう思ったのもつかの間。胸騒ぎがして、玄関へ。あれ?傘がない。そんなことある?また忘れてきた。

さてさて、今度はどこに傘を置いてきたのだ?

正解は電車の中。ああなんということだ。鉄道会社に問い合わせると、家から1時間くらいの小さな駅に保管されているという。駅員さんに電話。「どうされますか?」「ええと…明日、取りに行きます。」

というわけで翌日。電車に揺られる。ことことと1時間。着いた先は、ホームから海が見える、小さな町だった。こんなところまでわたしの傘はひとりで運ばれた。ごめんね、もうぜったいに忘れたりしないから。受け取って、ぎゅっと握りしめたまま、駅のまわりを散歩した。

海、海、海。わたしの惹かれ続ける海。

昔わたしがいた場所は、かわいい傘なんてどこへ行っても売っていた。その頃は傘なんて、どこかへ忘れたらそれっきりだと思っていた。

いつでもどこでも傘が選べて、使い捨てにできる自由より、このあまりにも美しく豊かな海をいつでも眺めに行ける自由のほうが好きになった。たった1本の傘のために遠くの町へ行けてしまう、余白だらけの日々に癒されている。

ホームから見える港で年齢のまちまちな小学生くらいの男の子たちが、楽しそうに釣りをしていた。わたしはしっかりと傘を握りしめて電車に乗りこみ、自分の町へ帰った。傘よおかえり。まだまだずっと梅雨だから、たくさん役に立つのだよ。

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