心は閉じてゆく

またしばらくの間文章を書くことから離れていたような気がする。誰かと食事したり、友達と会ったり、本を読んだりしていた。出勤日もあったけれど、休みのほうが多かったような。長い夏休みだったな、もう終わりか、と思う。難しいことは考えずに、ひたすら楽しみ、ぼーっとしていた。

わたしにとっては難しいことを考えてしんどい気持ちになるのが平時で、それから解放されるのが「休み」らしい。そんなことなら一生休みが良いのだけれど。

休み中を思い返すと、小規模な幸福のかけらがたくさんあった。豪雨の中、友達のマンションに閉じ込められるように過ごした。懐かしいドラマや気になっていたアニメを見まくって、お腹が空いたら友達がごはんを作ってくれた。わたしは全然手伝わないで寝転がっていた。

友達の部屋はわたしのがらんどうのミニマリスト部屋とは違って、生活感に溢れている。テレビもある。抱き枕もある。実家に帰ったようなほっとした気持ちで、ごろごろしてしまう。雨なのがありがたかった。どこにも出かけずにこの部屋で遊んでいるのが、実は街で買い物をするよりずっと好きだ。

食べることと寝ることしかしないかたまりが部屋を占拠して、外にも出れないし洗濯もできない休日を友達がそう定義しないとしても、わたしは幸せって感じだった。今度ちゃんとお返しがしたい。

そういえばその翌日、朝だけは晴れ間ができた。陽光と涼しい風が窓から入ってきた。ふたりして寝転んでぼーっと風を感じていた。近所のおしゃれなパン屋さんに出かけた。暑い~焼けちゃう~と文句を言いながら。

お礼とお別れを言って自分の部屋に帰ってくると、閉じていた心はだんだんと広がってゆく。ひとりでいると、心は刺激を求めて広がるのだ。不快なニュース、見知らぬ他人の言葉、民衆をコントロールしようとするあらゆる宣伝や美辞麗句。つい見てしまい、後悔する。

スマホを閉じて、静かな内側にそっと揺蕩うこと。目に映った景色を楽しむこと。友達と過ごすこと。好きなものを自分に合ったリズムで愛で、深めること。そうしていると、心は閉じてゆく。そうやって生きて行けたらいちばんいい。

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