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静寂と友だちになりたい

会社の同僚の部屋で宅配ピザを食べながら、最近あった楽しかったことやこれから行ってみたいお店の話や会社の人の噂話で盛り上がった。夜も遅くなったので車で送ってもらうことになり部屋の外に出ると、ひんやりとした夜の空気が澄んでいて心地よかった。遠くに雨の匂いがした。歩いて帰ることにした。

楽しかった時間のあと、ひとりの部屋に戻ると決まって心が焦るような気がする。友だちや同僚と会うと、孤独な精神同士が一瞬だけ交差するからかもしれない。不思議なことなんだけど、決まってみんな、ひとりの部屋では音楽やラジオをずっと流していると言う。静寂はマイナス思考に支配されそうになるから嫌いらしい。

そういうことを聞くと、明るそうに見える人たちの弱さの片鱗をみたような気がして動揺する。別れたらこの子はラジオをつけるだろうか、とか、今もあの子は別々の場所で空白を埋めているだろうかと考えるとさみしい。マイナス思考はかつてわたしの全てだった。当たり前に自分の中にあるものだった。マイナス思考はすぐに追い払え!という発想を聞くと恐れずに自分という人間の虚しさと向き合えばいいのにと思わなくもない。

静寂と友だちになりたいと思ってわたしはひとりになった。暗い考えも自分の弱さも愚かさも、静かな場所で受け入れた先に、音の無い平和が訪れるのではないかと思っている。

ピザを一緒に楽しんだ同僚はわたしの家まで歩いて着いてきてくれた。そしてイヤホンを耳につけてまた同じ道を帰って行った。部屋に戻ると静寂が耳に痛かった。ここは田舎で、とても静かな街だから、みんな思い思いの方法でその静寂を埋めているのだろう。そうやって一生埋め続けるのだろうか。音楽が鳴り止むのをずっと恐れ続けるのだろうか。例えばある時わたしがいきなり口を閉じたら、目の前のひとは不安になるだろうか。

今夜はなんだか眠れないけれど、静かな夜を味わい尽くそうと思う。今のところは音楽をつけなくても大丈夫。こうやって少しずつ静寂に慣れていけば、きっとわけのわからない恐怖は消えていくだろう。何かを誤魔化すように生きるのは、いやだ。

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