大学卒業前に一人己の人生を省みる①浪人〜大学一年生

2018年3月、浪人が決まった。
理由は単純で、点数が足りなかったからだ。とはいえ、点数が足りなかった理由は星の数ほどある。ここでは割愛する。とにかく、第一志望に落ちた。さぁどうしよう。受かっていた京都の私立は金銭的理由で断念、東京の私立はもう少し上を目指せるのでは、という分不相応な欲に駆られて入学を辞退、こうして自分は晴れて津田沼の浪人生になった。



大学卒業前に、今の自分が一体どこら辺からこうなったのか(こうなってしまったのか)振り返るべく箇条書きで書いていく。浪人前、浪人後で自分の考え方だったり、趣味趣向だったりに色々変化があったと思うので、そこを起点につらつら振り返ってみる。


浪人期(春〜秋)

 K合塾津田沼校の「一橋コース」なるコースに通った。たしかHS?コースとかいう名前だった。振り返るなどといっておきながら、浪人期のことはあまり覚えていない。マックのクーポン付きTシャツを着てモリシアのマックでそれを使ってみたが、Tシャツのタグを見せながら注文するのがあまりにも恥ずかしくて2度とそのクーポンは使わなかった。絶対太ると思って、運動がてら腹筋でもしてみようと思ったが、3回目あたりで腹筋が攣って動けなくなってやめた。そこから一切の運動をやめ、結果として20kg太った。
 あ、そういえば浪人期にBUMP OF CHICKENにハマった。『宇宙飛行士への手紙』という曲を、冗談ではなく毎日10回以上聴いたと思う。BUMPファンだった友人に布教用に貸してもらっていたCDを全部聴いた。この時間をもう少し勉強にあてるべきだったかもしれない。後悔はしていない。(なんで好きになったかを書くにはnoteひとつ分の記事でも書いてみたいと思う。)

 6月くらいに志望校を変えた。森見登美彦が本当に好きだったので京大志望にした。この頃だけは本気で、京都に行けば「明石さん」みたいな女子大生がいると思っていた。私は「私」になるべく志望校を変更した。あと、西部講堂で誰かのライブが観られるんじゃねえかと思ってた。とはいえ、やるべきことは変わらないということで、そのまま津田沼の一橋コースに通いつづけた。夏頃までは大きな成績の上下もなく、ぬるっと過ごした。 

 毎日同じ時間に起きて、同じ時間の電車に乗り、同じ時間に予備校を出て、同じ時間に就寝する生活を1年弱続けた。成績は緩やかに上昇していった。志望校判定は変わらずどこもB~Cくらいだったはずだが、結局進学することになった早稲田の文化構想だけはE判定しか取れなかった。
 現役〜浪人も含め、理科だけはどうしても出来なかった。受験勉強くらい苦手でもなんとかしろよ、と言われたらなにも言えないが。とにかく理科だけは本当にどうすることもできなかった。

浪人期(秋〜冬)と反省

 秋の冠模試(〇〇大模試、みたいなやつ)で冊子掲載寸前まで行って、調子にのった。これが分岐点だったと思う。私は破滅への道を選び、基礎を大切にしなければならない局面でなんかやたら難しい問題ばっか解くようになった(そして恐ろしいことに、後から振り返れば「調子に乗っている」と誰の目にも明らかなこんな状態でも、当時の自分はそう思っていないから救いようがない)。結果的に年明けあたりから成績が急速に伸び悩んだ。英数で荒稼ぎ、という戦い方ができなくなったことで他の教科にも著しく影響が出て、ほぼ死んだような精神状態でセンター試験を受けた。そして可もなく不可もなく、みたいな成績で試験が終わった。これ以降、ものすごい勢いで数学の成績は下落していった。そのまま入試に突っ込み、数学の必要なところは大体爆死した。
 どこぞの商学部になぜか受かったが、もう今後の人生において2度と数字を扱う学問に触れたくないと思い、進学を諦めた。そして、自分含め誰も受からないだろうと思っていた(チューターにも「まぁ、場の雰囲気に慣れるためと思って!」とすら言われていた)学部になぜか引っかかり、そのまま進学することにした。
 
 このころから、自分の発言を「卑下」と形容されることが一段と多くなった。もちろんふざけていっている時もあるが、ただ一つだけ言いたいのは、少なからず本心からの発言がそこに混じっていたということだ。おそらく進学先が決まってからつい最近まで、自分は自分のことを本気で「大したことない」と思っていたし、「カス」だと思っていたし、「クソハゲ」だと思っていたということだ。頭を使わなくてもこうした言葉は出てくるし、何より自分を傷つけることで他の人を(一見)傷つけていないように思える。今思えば、こんな発言をしても場は盛り上がらんし、気を遣わせるし、何より気づかないうちに自分のメンタルがボロボロになるのだが。もし人生をやり直せるなら、このタイミングに戻って自分の考え方を無理矢理にでも矯正したい。この時の卑下癖とでもいうべき姿勢は、大学生活〜就職活動にも影響を与えていく。

大学一年生

 そんなこんなで、浪人を経て大学に入学した。入学式で抱えきれないほどの新歓ビラをもらったが、それらすべてには目を通せず半分くらい廃棄した。どのサークルもキラキラしていて、「自分は千葉の端っこから出てきたダメダメデブだ」と思い込んでいたので気後れして結局コンパにも出ず。「大学」の洗礼を受ける中、日陰で演奏していたバンドサークルに惹かれた。
 そのバンドは最初、なんの曲かは忘れたがビートルズを演奏していて、自然と惹きつけられた。しかも、バスドラムに「The Beatles」(しかも本家と全く同じフォントで)って書かれてるし。結局ビートルズしか演奏せず、「なんだこのサークル」と思ったのを覚えている。なんだかんだ、この「早稲田ビートルマニア」に入り、愛すべき人達に囲まれながら大学生活を送ることになる。
 一年生の授業はフランス語が週四であったので、必然的にそのクラスの人たちと授業を受ける時間が長くなった。そこで友人が何人かできた。一年の最後にはその数人で、友人宅でもつ鍋パーティーをしたような記憶がある。あの時のもつ鍋は美味かったな。また集まりたい。そのうちの一人はかなりカッコいいオリジナル曲を聴かせてくれた。すっかり連絡とらなくなってしまったが。元気にしてるか〜?
 一年生の思い出は、そんくらいしかない。あ、このタイミングでアルバイトを始めた。「バイト 楽」で検索して出てきた「ドラッグストア」というのを参考に、東陽町の福太郎の面接を受け、ものすごく話が弾んだのに普通に落ちた。かなり凹んでちょっと泣いた。清潔感が足りなかったのかと思い、散髪して映画館の面接を受けた。普通に落ちた。自分はどこのバイトも受からないのではないか?と半ばヤケクソになりつつ、通学経路の途中にあった楽器店を受けたらなぜか受かった。そこで今も働いている。三つの中で一番受からんだろうと思っていたので驚いた。人生なにが起きるかわからない。

 浪人〜大学一年で出会った人が、今の交友関係の根幹を成している。一つだけ自慢できるのは、自分と仲良くしてくれる人は年齢問わずもれなく皆「いい人」である、ということだ。馬鹿みたいな形容だが、「いい人」だ。それ以外、なんと形容しようか……まぁ、「いい人」で少しでもニュアンスが伝わることを祈りたい。

一時間くらい書いてきて、3000字になったのでここらでひとまず終わりにする。過ごしてきた時間の割に思考量が少なすぎるような気もするが……まぁ、しゃーない。その後、高校の友人数人とフランス旅行に行ったが、その頃にはもうあのウイルスがすぐそこまで迫ってきていた……というところから、大学二年生が始まる。あくまで自己満足のために、近いうちに書いてみようと思う。


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