2024/05/27(月)ソイレント・グリーン - デジタル・リマスター版@シネマート新宿

「いつか映画館で観たい」と思い続けてきた映画、今回のデジタル・リマスター版の上映をきっかけに、ついに観てくることが出来ました。


大きな部分のネタバレは、別の作品経由で知っていたのですが、後世に語り継がれている名作の共通点として「ネタバレを知っていたとしても、作品そのものが魅力的であることは変わらない」があるため、問題無いと思い観て来ました。
結果、やはりその通りで、映画館のスクリーンで集中して観た甲斐のある時間でした。

以下、内容に触れます。







食料危機と人口爆発の世界観で、国家から配給されているソイレントレッド、ソイレントイエロー、そして新たに配給されるようになったソイレントグリーン。
このソイレント・グリーンの原料が、実は「HOME」で安楽死した人間(や、恐らく鎮圧時に回収された暴徒)である事が、作品全体の秘められた謎。

しかし、作品全体を観てみた時には、それはあくまで「貧富の差が拡大した格差の中で、人間から個々の尊厳が奪われ、モノとして扱われるようになった社会での、論理的帰結」でしかないのだと感じました。
劇中の「交換所」で「本」の女性が語る通り、手っ取り早い手段だったからに過ぎない、と言う事です。

大富豪用の住居に「家具」として設置される愛人。
記憶や思考のための道具として「本」として扱われる教授。

食事や酒、シャワー・洗顔など、人にとって快適な生活が一部の人間の特権的な持ち物である社会では、自然の人としての尊厳も特権的な持ち物。
それは、ソイレント・グリーンの前から持続的に悪化してきた問題であり、つまり「今」(当時は1970年代)の問題である、と言うことでしょう。

その視覚化として、満足の部屋が無く階段や教会で雑魚寝する多くの人々や、配給の不満をぶつけた結果暴徒として鎮圧される人々が描かれているのだと感じます。

また、そうした問題がある世界でも、良心の呵責に苛まれるサイモンソン、「人間らしい」食事で心の豊かさを取り戻すソーンとソル、モノとしてではない人同士の愛情のやり取りで「家具」である事を拒否するシャ―ルなど、きっかけがあれば本来望むべき人の在りように気付く展開。

その極地が、皮肉にも国家的なシステムによって安楽死する場の巨大スクリーンでソルが眼にした、ベートーヴェンによる音楽で彩られた、大自然の美しさによる感動。
喪われたものへのノスタルジーや、社会が歪に変革していく事に抵抗出来なかった後悔への一縷の救いであると同時に、その救いを与えるものですら、国家が個人を回収するシステムの一部でしかないと言う絶望。

だからこそ、そこで互いの愛情を伝えあったソーンは、その尊厳ある生き方と死がどのような「証拠」に繋がるのかを命懸けで暴き、伝えようとするのだと感じます。

感動の大きさと対比される絶望の大きさを表す、処理場の無機的な巨大さは、インパクト絶大。

観終えた後に、意識的にしろ無意識的にしろ、程度の差や具体性の違いこそあれ「自分がその状態にあること」、自身の考えと行動に繋がることが伝わります。

食料問題や環境破壊だけの話ではない、その意味でネタバレで一切揺るがない強度のある作品だと感じました。

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