2024/06/28(金)ルックバック@新宿バルト9

公開初日に観てきたにも関わらず、内容が自分の中で腑に落ちるまで時間が掛かったので、今さらながら感想です。

最初にSNSに投稿された時(未修正バージョン)に読んでいるのですが、そことの違いで特に気になる所は無し。
絵柄が活き活きと動く感じや、「アニメ声」でなく実写のような落ち着いたトーンの演技もぴったり。

情緒たっぷりにストレートに心を動かす音楽も印象的でした。

創作についての、葛藤、嫉妬、尊敬、執着、憧憬、様々な気持ちが生々しいまま伝わってくる感じは、1時間未満の長過ぎない構成もあって、気付けば終わった余韻に浸っている感じでした。


作品の核は、大きく分けて2つあるように感じられました。
1つは、「創作と共に生きること」。もう1つは、「大切な人を喪った人生で、大切な人と生きること」です。

前者だけでなく、後者の印象が自分の中では強いメッセージとして響きました。


パンフレットを読むと、作者の藤本タツキ氏が東日本大震災の時に「何も出来なかった」と言う無力感を覚えたのが、きっかけの一つとして挙げられています。
それが地震ではなくても、共通点を持つ別テーマで表現されたのだと感じます。
(京都アニメーションの事件に影響を受けたと思われる原作がありながら、加害者に対する思いに囚われない、と言う印象がより強いのもそのためかもしれません)


京本の死のショックから、藤野は「部屋から外(の世界)に京本を連れ出した責任が自分にある」と言う観念に取り付かれかけます。
これは、「もし、自分に責任があるのならば、京本の死を防げた可能性が自分にはあったと言うこと」と言う、結論から逆説的に生まれた考えで、そんな転倒した発想だとしても、「自分にはどうしようもない所で、酷い事が起きて京本が亡くなった」と言う事実を認めたくなかったのだと想像します。

もし、そのままの流れで話が終わっていた場合、大切な人の死を自分の責任として受け止める、と言う形で、大切な人と生きていく」と言うストーリーになるでしょう。


しかし、そこで亡くなった事実だけでなく、アナザーの可能性を考える事が、「京本はどんな生き方をしたかったはずか?」、「京本は私(藤野)にどうあって欲しかったはずか?」に、想いを巡らせるきっかけになります。
そこで得たのは、「自分が連れ出してもそうでなくても、京本は絵を描き続けて美大に行く」、「自分が連れ出してもそうでなくても、京本は私(藤野)に絵を描き続けて欲しいと願う」、という確信です。

だからこそ、現実には亡くなって戻ってくることはない京本と生き続ける方法として、漫画を描き続けることを選んだ、と言うストーリーなのだと感じます。


エンディングのスタッフロールが賛美歌を思わせるのも、「死者と共に生きるための祈り」がメッセージに含まれているからなのだと、自分は受け取りました。

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