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『新潟SFアンソロジー』にみる四次元拡張された新潟

2023年5月の文学フリマ東京にて上梓された『新潟SFアンソロジー ”the power of N”』は、新潟に由縁を持つ、あるいはあまり持たない著者15名によるアンソロジー。

いわゆる同人誌だが、その構成の見事さは土地としての新潟の仮想的拡張に成功している。SFの寄せ集めにとどまらず、編集著作物としてのSFの可能性を教えてくれる作品だった。

ので、ここに感想を残したい。




全体構成がとにかくすごい!

読んでまず驚かされたのが、描れた物語の並びの完璧さ。「新潟」というテーマひとつでバラバラに集められたはずの物語たちが、ここまで全体感・統一感をもって編み上げられるものだろうか。

新潟が分離したとき、僕は帰省中だった。

『ハニームーン』

という『ハニームーン』の書き出しは本書の嚆矢にふさわしく、第一作はこの話しか考えられない。それから乗り物モノや「新潟に向かう」話が続くが、川端康成をモチーフにした『into the sonw country』が1つのハイライトとなる。そうして新潟に辿り着いては公庁モノが展開されつつ、冒頭より捻じれていた時空がさらにヒネられていく。そして最後のお話は反転して、時空間的拡がりをもって〆られる。

各作品間の連絡や流れはこのあと個別に触れるけど、とにかくこの全体構成に唸らされた。

そうした編集の妙もあってか、単に「色んな視点で描かれた新潟」ではない、「色んな視点で想像された似て非なる虚構の新潟」が各々に連関し、その有機的な総体として、虚数空間に何らかの像を結ばせることに成功している。アンソロジーにより新潟を立体的に描き出す、を超えて、新潟を四次元的に拡張している。拡張現実ならぬ拡張新潟。

それにしても羨ましいのは、こういうシーンを牽引する人たちが新潟にはいることだ。地元の四次元拡張、なかなかやってもらえるものではないし、できることでもないだろう。


各話感想

ということで各話の感想。作品間の流れも意識して書いていく。
ちょっとネタバレあるかも。


ハニームーン(渋皮ヨロイ)

「新潟が分離したとき、ぼくは帰省中だった」から始まるお話。主人公が結婚の手続きのため新潟に帰省したところ、新潟が日本列島から分離して漂流を始める。

すごいこと起きてるのに日常感ある淡々とした描写が心地よかった。最後戻るとき(というか、あっ戻るんだ…と思った)海峡抜ける描写とかも細かくてよかった。

「結婚」という、それまでの人生や家族がどこか切り離され、けれどもその人たちとの関係は結婚後も続いていく、そんな変化の心象描写も関係あるのかな、と想像。日常は続くが、背景心理では大きな地殻変動が起きている。

あっ、というかいま気付いたけど、だからタイトルは『ハニームーン』なのか(ホントにいまさら…)。新婚旅行の儀礼的意味合いも考えさせられる。


五十浜&BOOKS(大江信)

新潟の五十嵐浜の情景が描かれるも、作品世界の年代や状況は判然としない。佐渡は失われている可能性もある。

語られることを逐語に理解するというよりは、文章の断片をなんとなく楽しむような、印象画的な読み方ができておもしろかった。

『ハニームーン』の新潟漂流から受けて、本作でも新潟の土地の実在の不確かさが語られ、しかし本作はさらに曖昧さが大きいことで、一気に「架空の新潟」に意識が向かう。


クモハE128の消滅(Yohクモハ)

新潟を走る車両を舞台に描かれる群像劇。腹を壊した男や、子連れの母親や、クレーム対応するサラリーマンなどが登場。

伊坂幸太郎的な多視点描写がおもしろかったし、電車消失、ロマンですよね。

こちらも前作の消失系の話から受けて、物事の実在を疑わせ、SF的な世界観がさらに深まっていく。が、本作の場合、多視点群像の仕立てに人物ごとの手触り感があるのが特徴。『五十浜&BOOKS』の心地よいあやふやさを超え、「新潟SF」の世界にいよいよ着地をした感がある。


対の雪(化野夕陽)

主人公の佐(たすく)には双子の佑がいたが、幼い時に失くしている。両親は佑のことをあまり語ってはこず、そのことを確かめると、自身のことや、佑の死の状況や、そうしたことが浮かび上がってくる。そんななか、佐はバスで佑に出会う。

双子の鏡映しのような描写には可能世界の線形重ね合わせの趣があり、異次元が重なり合うこと、出会わないはずの出会いが起こることの不気味さというか、懐かしさというか、スコシフシギ感が最高だった。

電車からバスへ、乗り物で起こる不可思議な話が続くが、こちらは『クモハE128』とはまた変わってシリアスな過去と心象が丁寧に描かれ、読み心地の違いがまたおもしろい。


into the snow country(貞久萬)

「トンネルを抜けてもそこはまた雪国だった」から始まる(わけでは厳密にはないが)、パロディの趣のある一作。シンゴとヨルは川端空間に囚われ、その脱出を試み、フィジカルを用いて「ヨルのそこは白くなった」。

物語のマクロ構造をもってループを表現する遊びは著者ならでニヤリとさせられる。僕こういうの、大好きなのよね。あと「作者登場」も胸アツの展開。おっさんなんだ。

色々とギリギリだけど、読みやすく、おもしろかった。

一点気になるとすれば、そんなスムーズにトンネルに入れるものだろうか。何度もループしてほぐれてるから問題ないのか?

本作も異次元乗り物モノだが、群像、シリアスときて、本作はコミカルタッチのパロディであり、飽きることはない。さらに次作『ノットデジタル』も異次元乗り物モノであるところ、そちらは時間方向へのフシギがあって、これも趣向が異なり飽きさせない。


ノットデジタル(王木亡一郎)

5年前に亡くなった友人との思い出が語られつつ、死者であるはずの彼から電話がくる。死の間際に時空を超えてかけてきた彼は、5年後(物語における現在)に交通事故に遭うはずの妻を助けてほしいと言い、主人公はその約束を果たすべく、新潟へ向かう。

時間モノとしての王道感・安心感を下敷きにして、冒頭の亡き友の思い出とか、彼の遺した言葉『死ぬ気でやれよ、死なねえから』とか、その人間関係の描かれ様が本作の魅力。サスペンスがあり、読後感もとても良かった。

本作冒頭の一節「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」は『into the snow country』を継承していて物語に入りやすく、本作もまた「新潟に向かう」点で共通。そして新潟にて大団円を迎え、次作は新潟の話となる。


女子大生が転生しなくても新潟市長になったの巻!(萬歳淳一)

女子大生の主人公が「ボリショワッチ」「ニシンスキー」を配下に市長選に出て、武藤選投票を果たしたのち、独立を果たすまでの話。パロディタッチの安心感とドタバタが読みやすい、安心感のある喜劇。ネーミングが好きすぎたし、いろいろとニヤリとさせられる描写に満ちる。

独立した新潟市が海に出るさまなんかは冒頭作『ハニームーン』も思い出され、アンソロジーとしての一体感を補強する。


思い出のぽっぽ焼き(比良岡美紀)

新潟県知事・岸本真由美と、秘書官田辺氏の話。広報の打ち合わせを重ねつつ、「ぽっぽ焼き」と、岸本真由美の過去の思い出とが結び付いてゆく。

姉弟の思い出がぽっぽ焼きを通してノスタルジックに語られるのがよい感じ。あと、ぽっぽ焼きの存在を僕は本作で知った。食べてみたい。

本作は『有限会社新潟防衛軍』の二次創作であり、岸本真由美は同作に登場するバットウーマンその人。アンソロジーとしては、前作が市長もので本作は知事と、公庁モノ繋がりでスムーズに入ってこれる。


川中島から来た男(久乙矢)

拙作。
こちらも『有限会社新潟防衛軍』の二次創作。また、『県北戦士アガキタイオン』リスペクト。

アンソロジーとしては、前作『思い出のぽっぽ焼き』のキーワードや人物を引き継ぎつつ、「新潟の独立」テーマがいくつかの作品とも共通する。

物語としては、『有限会社新潟防衛軍』未読だとやはりわかりにくいのと、読んでいたとしても、説明が駆け足で結局わかりにくいと反省……。

でも、古代史から現代にかけての日本海周辺諸国の紛争史とか、アガキタイオーとか、新潟先進技術大とか、書きたいことが書けて満足。本作は敵怪人の術中に陥った状況を描いたつもりなのだけど、そのあたりの描写も自分としては満足のいくように描けた。


地球連邦新潟地域裁判所地球連邦新潟支庁対ウサミ(今村広樹)

秋月国でないのが唯一の不満だが、シャープな語り口は流石。本作を読めてよかった。

歴史改ざんという設定や「川中島合戦」のキーワードは前作『川中島から来た男』とも共通し、『川中島から来た男』が本作の前段に置かれたことはとても光栄。


ねじ(小林猫太)

当局に拘束された地質学教授と、SCPを巡る話。陰謀論じみた世界感が描かれつつ、「報告書」ではその詳細がリアルに描かれる。

著者が「SCPモノを書くつもり」と言っていたのは事前に聞いて、SCPならば陰謀論系のドロドロした話になるかと想像したが、読んでみれば(あくまでトンデモでありつつ、陰謀論ならではの)一貫性・合理性のある世界観が語られていて、わかりやすく、またSF的なワクワクが楽しかった。わかりやすさはさすが著者だが、この著者にしては真面目な作品という印象も得た。

佐渡を「ねじ」状に見立てて何者かがこれを掴む、という情景が視覚的に目に浮かぶことに驚く。だまし絵的に「手」が脳裏に描かれ、もはや佐渡は「ねじ」でなければあり得ないとさえ思えた。SFにおいて視覚描写の、それも壮大なビジュアルの重要性を再確認させられた。

そのうえで、佐渡の正体描写がキマってたのは、「新潟SF」という、土地・空間を意識させられる媒体でそれが描かれることによる手触り感というか、これまでさんざん新潟の話を読んできたが上の謎のリアリティというか。この実在感を描き出したのは、単品の魅力のみならず、アンソロジーならではだとも僕は思っている。

『川中島から来た男』とは新潟先進技術大でキーワードが共通(同ワードはもともと『有限会社新潟防衛軍』に登場したもの)するだけでなく、古代文明感とか、偽史感とか、「島」を巡る話であるとか、連関するところがあり、勝手にうれしく思った。


忠犬タマコ(エンプティ・オーブン)

新潟県において飼い主を掘り出した忠犬の話。忠犬タマコの一人称で語られる。本作は四節から構成され、第二節でタマコは「魔が差して」駆け出し、第三節で「知らない顔とにおいの」ごしゅじんを掘り出し、しかし第四節ではそれらが白昼夢だったかのように語られていて、不思議な読後感が残る。

冒頭で「飼い主を二度にわたり掘り出した」とあるが、これはどういうことだろう。前世の記憶的な物か、それとも……。と、短いながらも色々な想像をさせられるお話だった。

本作で、前作『ねじ』までの流れと趣が変わる。それまでがどちらかといえばがっつりSFというか、荒唐無稽要素強めだったが、本作で再び現世的な新潟に戻ってこれた感じになる。が、普通かと言えばそんなことはなく、ミステリアスな空気感は満ち満ちていて、フルコースで言うならばデザートの局面に来たことを思わせてくれる。


新潟の米粉で作る長崎カステラ、たった二杯で夜も眠れず(げんなり)

愛犬を失くした主人公と妻との話。愛犬のこと、その思い出が語られつつ、取り留めない日常が淡々と語られ、その淡々としたさまに、なぜか大きな喪失感が伝わってくる。

前作『忠犬タマコ』とは「犬」つながりでこの位置に配置された本作は、アンソロジーにおいては最も「死」を意識させられるお話だった。三幕構成では一般に「死」は第二幕後半に置かれるが、この作品もラストに近い場所にあることで、最後に向けての大きなアクセントになっていたと思う。

文体の読み心地もしっとりとして、デザートコースの一品。タイトルもカステラだしね。


空生類前史(ヤマダマコト)

ホームレスの主人公は、同じくホームレスで元パイロットの林から「空生類」の話を聞く。空に憧れる主人公だが、研究者モニカの出現で身の回りが変化し、彼女に空生類の標本を見せられ、彼女と結婚するが……

アンソロジーの最後を飾る本作は王道SFで、本作が〆に来ることで、「新潟SF」のタイトルに裏切られず「SF堪能しちゃったなっ」って思わせてくれる。素敵なアンソロジーでした。

と、思いきや!
エンドロールがまだ一作残されている。


null潟県における国道8號線信仰の歴史とその展開(日比野心労)

「国道8號線」を巡るnull潟県の信仰と奇祭を描いた論説。信仰の様相や奇祭のちょっとしたトンデモ感にニヤニヤさせられ、肩の力を抜いて楽しめる。

本作は通常のページ送りとは逆順で書かれていて、『空生類』を読んだあと、一度アンソロジーの裏表紙へ返してからページをめくり戻さねばならない。この「待ち構える」構成は珍しい。『空生類』の王道SFの〆のあと、さらに本作があり、ピリオドを二回、二種類楽しめた気がして二度おいしい。

で、本作で描かれる架空の舞台「null潟県」は、これは明らかに新潟であり、異次元にシフトした新潟の文化習俗に浸ってアンソロジーを終えることになる。描かれる「∞」は、未来志向と拡がりもたらす。「新潟SF」の最後の禊にふさわしく、読後感として申し分ない。

8888888888!


おわりに

悔しいが、本書一冊を読み終えて、新潟堪能した! って感じになる。冒頭紹介でも述べた通り、この「新潟」とは現実のそれではなく、四次元的な拡張された新潟であり、ゆえに、胸に残る異物感は壮大かつ爽快だ。

繰り返しになるけど、新潟を盛り上げる人たちがこうしていることは素晴らしい。他の地方アンソロジーにも期待したい。


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