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書く時間 (シロクマ文芸部、エッセイ)

書く時間は、私に必要なもの。そう気づけてから、自分を少しずつ認めてあげられるようになってきた。


誰かへ送るか私しか見ないか、手書きかキーボード入力か、創作か事実か等を問わず、自発的に書いているものが多々ある。

誕生日のお祝いや、贈り物へ添えるメッセージ。
楽しかったイベントや、日常のささいな出来事の日記。
ショートショートや考察、あるいはToDo/Done/WISHリスト…。

強制ではないのに。
見返すことはさほどないのに。
感じた、考えた…それで済めば他にできることも増えるだろうに…。

すべてではないものの、自然と書きたくなってしまう。


会社員時代や、退職・出産後、ToDoリストや必要な記録しか書かない日々が続くことがあった。書いたところで何にもならないし、非効率。他にすべきことがあるから、と。

しかし、その期間が長すぎると、どうも何かと上手くいかなくなる。頭の中がパンクするのか、あらゆるものが荒れてくることがわかってきた。


そんなとき、書くことを必要とする人が一定数存在するというのを、何かの本で読んだ。

私だけではないのか。
周りに同じような人がいないだけなのだ。


また、周りの方々から、私からの言葉はアガる!、私とのメッセージのやり取りが楽しい!と、言われることが増えた。

相手を思いながら綴るときは、プレゼントを選ぶときと同じで自分も幸せになれる。あっという間に時間が過ぎてしまうし、つい長くなってしまう。
けれども、そうして送ったものを喜んでくれる、その喜びを形にしてくれるというのは、この上なく嬉しい。



こうして、私は書きたいものを書いていいんだ!と、思えるようになった。

育児や家事で毎日が飛ぶように過ぎ、復職もしたいという身でも、それらに支障をきたさぬようにすれば、何でもやってみればいいや!と意欲が湧いた。


noteや連用日記を始めることができたのも、これらのおかげである。



もちろん、書くのが嫌、面倒なものも沢山ある。
また、イメージなら図やイラストにしたい(のだが、なんせ画力がない。描けるように練習したいとは思っているけれど)。


とはいえ、必ずしなければならないことを終えたら、まず何か書いている自分がいる。
朝や昼下がりのコーヒータイム。暑い日でも湯船に浸かるひととき。私の「書く時間」も、それらの類かもしれない。


※当記事は、こちらの企画への参加記事です。

なお、文中の連用日記につきましては、以下の記事もございます。

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