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映画動物農場に対する宮崎駿のインタビューについて引用しながら感想(2231文字)

タイトルにあるように映画動物農場が日本で上映されるタイミングで宮崎駿のインタビューが面白かったので本文を引用しながら感想を書きたいと思います。
映画だけでなく小説の話も含まれていますが内容にはそれほど触れていないので何も知らない人でも気にせず読めると思います。
日本で鬼滅の刃に抜かれるまで最も観られたアニメーションの作者がどういう考えを持っているのか知ることができるので興味がある人にはぜひ読んでほしいです。


それでは始めます。

本文リンク
動物農場を語る


当時のイギリスは、第二次世界大戦が終わり、冷戦が始まろうとしているときです。第三次世界大戦が始まるんじゃないか、原爆の戦争が始まるんじゃないかという恐怖、と同時に、恐ろしい勢いでふくらもうとするソ連があって、世界中がソ連型の共産主義になったら大変だ、という危機感が強かった。
 ジョージ・オーウェルはまさにそれを考えて、『動物農場』や『一九八四年』という作品を書いたんですよね。

原作小説の時代背景。

だけど、搾取とか収奪というのは、なにも共産主義だけにあるんじゃなくて、資本主義はまさにそういう「しくみ」です。

共産主義にも資本主義にもある構造。

これがこの世のなかのしくみだというのは、ある時代までは常識だったんです。だけど、いつのまにか、みんなそれを忘れてしまってたんです。みんなが中産階級だと思いこむことによって、搾取の構造というのは見えなくなっていた。と同時に、戦後の日本の経済成長のなかでは、経営者も必死に働かないといけなかったし、日本は累進課税で、トップと末端の所得格差が少ない国だったんですよ。

搾取の構造を忘れる。

この映画に出てくる豚のナポレオンのように露骨にずるい強欲な独裁者がいて、それがひとりでうまいものを食っていて、民衆はひどいものを食いながら骨身を惜しまず働かないといけないというしくみよりは、現実はもう少しまわりくどいですね。

独裁者と民衆。

しくみのなかでは、自分だってナポレオンなんです。そのしくみの問題はいっぺんには解決できないですけど、だからといって、手をこまねいて、無関心でいられること自体、すでにそれはナポレオンなんだってことなんです。個人的なことだけじゃなくて、社会における位置とか役割によって、自分の存在の本質には、いつも気づいていなくちゃいけません。

無関心でいられること。

ぼくは、楽園というのは、幼年時代にしかないと思います。幼年時代の記憶に、楽園はあるんだと。楽園をつくろうという運動はいつもあるけど、かならず挫折するのはそれなんです。だから、「この世は楽園じゃない」ということで生きるしかないんです。ただ、それではあまりにしんどいから、バーチャルなもので気をまぎらわせながら生きる方法を人類は編み出したんですよね。

楽園はない。

「パラダイスは地球とその周辺にはありません。それを認識したうえで、国家のできること、国家の役割を考えなければいけません」と。そのリアリズムに感心しました。リアリズムを失うと、国家はとんでもないまちがいをやる。日本の軍閥政治の数十年間のまちがいは、リアリズムを失ったのが原因です。
 ヨーロッパが社会主義に絶望したのは、一九三六年、スペイン内戦のときです。スペイン内戦では、社会主義者だけではなく、無政府主義者も、民主主義者も、いろんな勢力が人民戦線に集まったわけですね。そのときにソ連に裏切られたというのが、ジョージ・オーウェルの大きな体験だったわけです。

リアリズムを失った世界。

人間の欲望はコントロールしないといけないんです。人間の欲望を増大していっていいんだという考え方は、地球が有限であるということがわかった瞬間から、変わるはずなんですよ。

欲望のコントロール。

「動物農場」は最後にいってるわけですね。「何度でも立ち上がる権利がある」って。この映画のラストシーンは、原作の結末にさらに付け加えたものですが、「人民はくりかえし、立ち上がり続けるんだ」というところで終わっている。ぼくも、それしかないと思います。

立ち上がること。

クーデターなり革命をおこして独裁者を追い出して、理想の社会を実現しようとしても、結局、気がつくとまた次の独裁者があらわれる、というのも、人間の歴史を見ればわかることです。それでもやっぱり立ち上がらざるをえないんです。

歴史は繰り返す。

長編アニメーションをつくるということは、あの時代、どれほどの覚悟が必要だったか。CIAの資金だけで判断しちゃいけない。そしたら軍閥政治の日本に生きて、そこでごはんを食べていた人たちはみんな薄汚れていたのか、というのと同じです。最初にもいったように、ハラス&バチュラーにとって、この映画をつくることは切実な問題だったんだと思います。

懸命に生きた人々に対して。



ナポレオンという豚が独裁者である(欲望をコントロールできない)ことは、千と千尋の神隠しで両親が豚になるとこを思い出しました。
また、宮崎駿が繰り返し言っている子供に対するメッセージの真意がわかった気がしました。
幼年時代にしか存在しない楽園を少なくとも子供の間だけでも守ってあげたいって気持ちがあるんじゃないかと思いました。
社会に対する確固たる思想があるからそんなことを全く考えたことがない人々にも届くのじゃないかとあらためて思いました。
この文章を読んで宮崎駿の思想についてまたは彼が作った作品について興味を持っていただければ嬉しく思います。