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自由?平等?

自由と平等、と聞くとアメリカを想起させられますね。でも最初に自由と平等を説いたのはフランスの人権宣言なんだとか。

こんにちは。まつ子です。この度、第3回「自作小説の一節コンテスト」にて優秀賞を頂きました。まさか受賞するなんて考えてもいなかったのでびっくりです。やれ、嬉しや。有難いですね。

小説と一節と。

どの小説のどの一節なのか、ちょっとここで紹介させてください。

小説はmonogataryさんのお題「夜明けの物語」で書いた「長夜」です。そこからの一節がこちらです。

「……長く生きてみたけどな、世の中はなかなか平等じゃないぞ。不平等だ。だけどな、不平等とは上下じゃないんだ。方向もない。不平等には比例やら反比例やら傾向やら、何もないんだ。
……不平等は自由なんだ。お前さんは宙を飛び交う自由な粒子でいい。」

これは主人公のじいさんのセリフとして登場します。「長夜」という小説、実はこのセリフを登場させたくて書いた結果、爆誕いたしました。

お題は「夜明けの物語」だと言っているのに、「長夜」はお題に対して反抗的に始まります。

明けない夜はある。

明けない夜はないだとか、朝日は必ず平等に登るだとか。よく聞く励ましの常套句ですが、マジレスすると明けない夜はどこにでも転がってるんですよね。だって曇りや雨の日に朝日は見えないし。北欧地域の極夜はどうなるんだよ。

「長夜」の主人公も、長い間朝日を見ていないようです。こんな反抗的な一文から始まる話がどう夜明けの物語に化けるのか。未読の方がおりましたら、お手隙の時にぜひ読んでいただけたらなと思います。

「と」か「か」か。

さて、タイトルにも一節にも出てきた「自由」と「平等」についてですが。この2つの単語、一緒に並べられて語られたりすることが多いような気がします。異様に。

なので私は昔、「自由」=「平等」なのかなとか、「自由のための平等」なのかなというふうに、どちらも同じような意味合いだと考えていました。しかし小学生の頃くらいに、とある先生に聞かれるんです。

自由「か」平等、君ならどっちを取る?

なんだと?どっちかを取るだって?世の中平等だから自由だし、自由だから平等じゃないか。どっちかが欠けたらどちらも成立しないよ?

でも冷静に考えたら自由と平等、それぞれに違う意味がありますよね。

例えば、「平等」に重きを置いて自由をほったらかしてみたとしましょう。何よりも「平等」が大事なので、皆服装も食事も賃金も生活習慣までも同じにされて、管理されることが考えられます。そうすると好きな服が着られないし、大好物が好きな時に食べられません。うん、これは不自由であると言えますね。

そういことを考えると、「自由」の方が大切な気がします。でも「自由」も一長一短です。個人の自由が他人を傷つけることが考えられます。これでは不平等ですね。

なんだか社会の授業みたいになっちまった。

不平等?

どっちを取るか。今の私は「自由」の方を取るかな。だって平等ってなかなか不可能なんですよ。

人間ってそれぞれ、色々、様々に違うじゃないですか。好きなことも嫌いなことも、得意なことも苦手なことも、それぞれにあって、それぞれに違う。もしかしたら好きなことよりも嫌いなことが多い人もいるだろうし、得意なことよりも苦手なことが多い人もいるかも知れない。置かれる環境も持って生まれた資質も、本当にそれぞれ大きく違う。それを踏まえて考えると、世を平等にするのって不可能な気がしてきます。

でも不平等は嫌です。誰だって誰かより劣っていると感じながら生きるのは辛いししんどいはず。だから不平等は嫌。

じゃあどうすればこの世のことを受け入れられるのか。色々考えた結果、私が行き着いた答えがこれでした。

「……長く生きてみたけどな、世の中はなかなか平等じゃないぞ。不平等だ。だけどな、不平等とは上下じゃないんだ。方向もない。不平等には比例やら反比例やら傾向やら、何もないんだ。 ……不平等は自由なんだ。お前さんは宙を飛び交う自由な粒子でいい。」

世は確かに不平等である。でもそれは上下があるということではない。きっと私たちは数学とかを勉強し過ぎてて、頭の中にはy軸やらx軸やらが勝手に引かれているんでしょう。それで不平等な世をグラフ化して、傾向を掴もうとしている。でも不平等ってきっと傾向じゃないんじゃないかな。

傾向を掴もうとする、というのはきっと生きる術なんだと思います。傾向が分かれば対策が立てられるのでとても便利です。でもそればかりに気を取られ過ぎて、人間に上下が付いてしまっては生きづらくなるなと思って。

誰しも苦手なことがあるし、あって当たり前だから、それぞれ助け合おうねって世界中が当たり前に思ってくれたらなぁ。

世は不平等。でも不平等に上下などない。

そういうと、どっかから結局は平等ってことじゃんとかいうのが飛んできそうですが。でもそう考える方が楽かなって。めっちゃ綺麗事っぽいですけど。現実は甘くないんですけど。

今日は賞をいただいた一節について語ってみました。小学生の頃に尋ねられた問いに10年くらいかけて答えを出してみたよ、という一節でした。

小説の中の架空のじいさんは「自由」に重きを置いたセリフを吐いていました。でも私がばあさんと呼ばれるくらい長く生きた後には「平等」に重きを置いているかもしれないです。人生まだ長いし先は見えないですからね。でもそれが醍醐味な気がしますね。

Twitterなどにて、お祝いの言葉をかけて下さった皆様、本当にありがとうございます。まつ子、これからも頑張ってまいります。(選挙か。)

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