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アイドルの萌え袖に想う

おはようございます。こんにちは。こんばんは。
2回目のnoteを投稿します、とろたく軍艦です。

1回目のnoteの自己紹介で、日常をエッセイ風に書いていきたいと宣言しましたが、なかなか難しいものですね。ですがまあ、堅くなりすぎずに、この前テレビを見ていたときに思ったことを書きたいと思います。

アイドルの子がセーターの萌え袖をしていて、もう萌え袖見飽きたなあって思ったときの話。

ここ10年くらいになるのだろうか。セーターやパーカーの袖を伸ばして着ることが可愛らしくて、萌え袖なんて呼ばれるようになったのは。

何を隠そう、自分自身も萌え袖をしている女子を見て、可愛いな~なんて思ったりしていた。

しかし、何年にも渡って、多くの女の子が萌え袖しているのを見てきて、可愛さを感じられなくなってしまった。

ここまで考えたときに、ふと気付いた。「あれ?この感じ、前にもあったのでは?」

そう。女子の制服姿に同じようなことを思っていたことを急に思い出した。

自分は、公立の小学校に通っていたので、周りの女子が着ているのは私服。中学校に入学してからは新鮮な女子の制服姿にときめく日々。

しかし、高校を卒業する頃には、制服姿に辟易してしまい、修学旅行で見た私服姿に感激したことを今でも覚えている。

そして、大学入学以降、当然ながら、女子が着ているのは私服。

周りが私服の女子ばかりになると、今度は制服姿が見たくなるというワガママっぷり。あんなに見飽きたと思っていて、もう見たくないと思っていた制服姿が、どうしてこんなにも輝いて見えるのだろう。

何も自分が制服好きということを告白したいわけではない。

今、自分の日常生活に満足しておらず、新たな生活に憧れる人は非常に多いのではないだろうか。勿論、ハラスメントなどで肉体的・精神的に苦痛を味わっている人は、今の環境を捨てて、新たな環境に行くことでより幸せになることができると思う。

だが、いざ今の日常が終わって、新しい日常が始まってしばらくすると、今の日常を恋しく思う日が来るかもしれない。ひょっとしたら、あれだけ満足していなかった今の日常に戻りたいとすら思うかもしれない。それならば、今の日常を味わってみるのも悪くはないのかもしれない。虹のふもとにいるときは、虹の美しさは分からない。遠くから眺めることで、虹の美しさは分かるものだ。

いつか萌え袖文化が廃れてしまい、新たな萌え仕草が今後流行るのかもしれない。そうなってからでは、いくら萌え袖をまた見たいと思っても、萌え袖を見ることはできなくなってしまうかもしれない。だからこそ、今のうちに女子の萌え袖姿を目に焼き付けておこう。

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