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健康で文化的な最低限度の生活について考えてみた

おはようございます.こんにちは.こんばんは.
61回目のnoteを投稿します,とろたく軍艦です.
 
小学生の頃,私の得意科目は社会だった.地理,歴史,公民どれも得意だった.物覚えが非常に良かった私にとって,暗記科目の筆頭とも言える社会は中学受験における最大の得点源だった.
 
我が国の最高法規である日本国憲法.前文を丸暗記する猛者も知り合いにいたが,その必要性は感じなかったので私は前文を暗記することはしなかった.だが,中学受験をする上で暗記を避けられない条文というのは存在する.それが,第25条に定められる「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という条文である.
 
子どもの頃は意味を深く考えることはせずに,何となくのニュアンスのみを掴み丸暗記していたが,大人になって働くようになって,この条文を改めて考えるようになった.というのも,今の自分は健康で文化的な生活を送れているのか自信が持てないからである.
 
「健康で」というのは当てはまると思う.肉体的に疲れることは多いが,大きな病気や怪我をすることなく,かつ適度な睡眠時間を確保することが出来ていることを考えると,健康ではある.だが,文化的な生活を送れているかと言われると自信が持てない.
 
文化的な生活が何を指すのか,その定義は容易ではない.だが,朝起きて,働いて,夜に家に帰ってきて,コンビニで購入した夕飯を食べ,シャワーを浴び,就寝するという日々が文化的かといえば恐らくはそうではないだろう.私の思う文化的な生活とは,日常に彩りが加えられた生活を指しているのではないだろうか.コンビニ飯も悪くはないが,インドカレーのお店でチーズナンとバターチキンのセットを食し,焼き鳥をつまみにビールを飲み干すような食事には彩りが加えられていると言えるだろう.仕事と関係の無い本を読んだり,勉強をしたり,旅行に出かけたり,スポーツをしたりすることも彩りだろう.
 
最近,機械的で退屈な繰り返しの日々に嫌気がさしてきたので,就寝前にアニメやドラマを見るのにハマっている.睡眠時間を削ってまですることでは無いのかもしれないが,帰宅してただ眠るだけの生活には人間味がまるで感じられない.自分の心を守るためにも,身体に無理のない範囲で文化的な暮らしを送りたいと思っている.
 
最後に,先日読んだ國分巧一郎さんの著書『暇と退屈の倫理学』から私の好きな言葉を引用して締めたいと思う.
“人はパンのみにて生きるにあらずと言う。いや、パンも味わおうではないか。そして同時に、パンだけでなく、バラももとめよう。人の生活はバラで飾られていなければならない。”

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