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「ともだちになろうよ」

6歳娘。
小学校生活2週目。

毎日、学校と学童でどんなことをやったのか、話してくれる。
一緒に夕飯を食べながら、お風呂に入りながら、いろんな話を聞く。幸せなひとときだ。

「きょうは、○○ちゃん、△△くんのなまえをおぼえたよ」
という話が、とても微笑ましくてよい。
少しずつ、彼女の世界が広がっていっている。

「となりのせきの子が、ともだちになろうよっていってくれたから、なったよ!」
登校3日目くらいに、そう言っていた。
ああ。なんて、尊いんだろう。
40年生きてきてすっかり汚れちまった私は、その神々しさを浴びて灰になり、消し飛んでしまいそうになった。平和な世界。𝓑𝓘𝓖 𝓛𝓞𝓥𝓔━━━


「ともだちになろうよ」
いやー、大人になると、ちょっと言えないよな。
素敵な人だな、とか、めっちゃおもろい人やんもっと話したい、と思う人に出会うことはあるけど、大人になってから新しい友達を作るのって、自分から距離を縮めるのって、けっこう難しい(私がコミュ障なだけ?)

大人も、「ともだちになろうよ」でいいやんね。人間関係が単純明快になっていいんじゃない?大人になるにつれて良くも悪くも「曖昧にすること」が上手になってしまうからなぁ。


興味深いのは、娘にとって「名前を覚えた」=「友達になった」ではないらしいところだ。まぁ確かに言われてみればそうか。
お話したなら、もう友達になったってことじゃないの?と聞くと、「まだあんまりしゃべってないから…」と言う。なるほどね。
娘にとって、どういう状態になると、「友達になった」といえるのだろうか。「友達」認定ラインは人によってさまざまだと思うけど、なかなかおもしろい。


何のCMだったか忘れたけど、昔、たくさんの子どもたちが走りまわって遊んでいて、「名前なんて後、一緒に遊んだらもう友達だよね」という(うろ覚え)ナレーションが流れるCMがあったのを思い出す。

子どもの世界なんて、そんなもんでいいと思う。最初は気恥ずかしいだろうけど、難しく考えずに、どうかたくさんの人とコミュニケーションしてみてほしい。

母は、親友と呼べる人はひとりしかいないんだけど、そいつとは小学1年生の時に出会った。もう30年以上のつきあいだ。ワンオペウィークにわざわざ大阪から駆けつけてくれる仲だ。今、まさにその出会いが、一生ものになるかもしれない。友達は大事にしてくれよな。

そう思いながら、今日も娘の話を聞いている。


たい焼き










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