【春ピリカ応募】まだ知らない色
月曜の朝、指先が、薄紫色だった。
「綿貫さん」
隣の席から呼びかけられる。
「すいません、ここ教えてもらっていいですか。いただいた資料にはこう書いてあるんですけど…」
花井くんは、4月に中途採用で入社してきた。
真面目で物静かで、私の説明も真剣に聞いてくれる。
「あ、この場合はちょっと特別だから、一緒にやってみようか」
花井くんが指示通りぱちぱちと、キーを叩く。
長くて華奢な指。
黒いキーボードの上で、薄紫の爪がリズムよく跳ねる。
…だめだめ、ちゃんとモニターを見てないと。
花井くんは寡黙で、自分のことを話さない。
歓迎会をやろうよ、と上司が提案したけど、そういう場は苦手なんで、と本人が辞退した。
業務の合間に、当たり障りのない雑談をするくらい。
一度だけ、グループ内の数人とランチに行った。何を聞かれても気恥ずかしそうに答える、はにかんだ表情を思い出す。
火曜日、ペンを持つ彼の指先は、もう薄紫色じゃなくなっていた。
木曜日。
今日は少し残業して、資料を完成させなければ。
来週のプレゼンに向けて、明日上司にチェックしてもらう段取りになっている。
定時を過ぎ、小腹が空いてきた。
コンビニに行って、甘いお菓子でも買ってこよう。
エレベーターホールに、さっき退勤したばかりの花井くんがいた。
お疲れ様です、とお互いに会釈する。
「どう、少し慣れてきた?って、もう何回も聞かれてるよね」
「はい、おかげ様で。綿貫さんの説明と資料、すごくわかりやすいです」
「ほんと?それならよかった。わからないところは何回でも聞いてね」
ああ、あっというまに、定型の会話が終わってしまった。
エレベーターはまだ来ない。
こういうとき、何を話したらいいんだろ。
話したいことはいろいろあるはずなのに。
花井くんは無言でスマホを見ている。
仕事中に来ていたメールや、SNSのチェックでもしているのだろう。
「つ、つめ。」
到着したエレベーターに乗り込み、ドアが閉まった時、思わず、そう声に出ていた。
「はい?」
花井くんは驚いて顔を上げる。
「月曜日、爪が、紫色だった」
「あっ…。すいません。男がネイルなんて、キモいですよね。日曜の夜に落とすつもりだったんですけど、寝ちゃって」
「ううん!そういうことじゃなくて、すごく…すごく素敵だなって。指も長くてきれいだし」
ちょっと…!私何言っちゃってんの…!
花井くんはしばらく固まっていた。
息をするのも忘れているよう。
「…今まで指を褒められたこと、なかったですけど、なんか嬉しいです」
胸の奥がくすぐったくなるような微笑だった。
ビルのエントランスで花井くんと別れた。
コンビニに入り、お菓子の棚に向かう途中でふと、陳列されているマニキュアが目に止まる。
今週末、花井くんの指先は何色になるのかな。
その色を、私はまだ知らない。
(1143字)
どうもたい焼きです。
初めてピリカグランプリに応募します。
1200字って絶妙に短いですね!
何年か前に、星野源がアーティスト写真を撮影する際にネイルをやってみた、という話題を思い出し、そこから話を膨らませました。
花井くんも綿貫さんもあえて年代や容姿について描写しませんでしたが、私は花井くん→宮沢氷魚さん、綿貫さん→芳根京子さんをイメージして書きました。みなさん自由に想像して読んでもらえたらと思います。
最近は、職場で人の洋服や髪型を話題にするのもハラスメントとか言われちゃうのかな…?
私はおしゃれだな、と感じた人にはそれを伝えたいタイプなので、なんだか息苦しい時代になったな、と感じていますが、これを読んだ方はどうでしょうか。気になります。
人によってはホラーに感じるのかも。
よしなによろしくお願いします〜
たい焼き