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新加入選手紹介:志知孝明 伸びしろ×再会=??

2020シーズンは主に輪湖直樹が担い、湯澤聖人や桑原海人が入ることもあったアビスパ福岡の左サイドバック。
そこに、2021シーズンから強力な仲間でありライバルが加わることとなった。

昨シーズンはJ1の横浜FCで22試合に出場し2得点を決めた、志知孝明だ。

今回は、なぜアビスパに来ることとなったのか、彼がどういった経歴を辿ってきたのか、そして分かる範囲でどういう人間なのかを纏める。

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志知はなぜアビスパに

まず、なぜ横浜FCでも出場機会を掴んでいたにも関わらずアビスパへやってきたのか。

そこには、2019シーズンに水戸ホーリーホックでプレーしたことが大きく関係していると考えられる。志知のプロサッカー人生にとって、極めて大きな転機となった1年であった。


2016年に大卒で松本山雅FCに加入した志知は左足での強烈なシュートと縦への突破力を武器に主に左右のサイドハーフでプレーするも、なかなか出場機会を得られず。

J3の福島ユナイテッドFCへの期限付き移籍も経験したが、松本での立場は変わらないままだった。

そんな中で2019年に水戸へ移籍すると、当時水戸の強化部長を務めていた西村卓郎氏によって左サイドバックへコンバートされる。そして、まだ不慣れな部分もあった志知を良い時も悪い時も使い続けたのが現在アビスパ福岡を率いる長谷部監督だったのである。

サイドバックに必要不可欠な持久力は元々圧倒的なものを持っていた。

松本山雅時代、持久力を測るヨーヨーテストでは「1000m走ればJ1のレギュラークラス」とされる中で1800mを超え、チームトップの成績を収めている。

また、サイドハーフよりもマークが厳しくなく、前を向いてボールを持てることの多いサイドバックへと1列下がったことで、持ち前の縦への推進力や左足のキックの精度をむしろ発揮しやすくなった。

この西村卓郎氏のコンバートと起用し続けた長谷部監督、それを受け入れ果敢に挑戦した志知の努力によって、彼のプロサッカー人生は大きく変貌を遂げたのだった。

やはりこの時の長谷部監督への恩は大きかったのだろう。長谷部監督率いるアビスパからオファーを受けた志知は移籍を決断。
これによって、2021シーズンよりアビスパに完全移籍で加入することとなったのである。

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志知孝明がプロになるまで

元競輪選手である父親のDNAを受け継いだ志知は、生まれ育った岐阜県で小学1年生の時にサッカーを始めた。兄や近所の友達と一緒にボールを蹴るのが楽しく、練習がない平日もサッカー漬けという日々。

小学生の頃に所属していた正木サッカー少年団は県大会にも出るようなチームで、志知も高学年の頃には地区トレセンに選ばれるなど活躍していた。

羽島市立羽島中学校へと進学し、サッカー部に入部する。当時は自称「中2病でちゃらんぽらん」だったそうだが、ここで「生活面がサッカーに影響する」と指導されたことで改善されていく。

高校生になった志知はプロへの近道と考え、FC岐阜U-18へ1期生として入団。
しかし、発足したばかりだったために練習場所は転々、練習も突如100本ダッシュを課されるなど厳しい環境だった。

厳しいがゆえにメンタルを鍛えられ、「常に誰かに見られている自覚を持って行動せよ」という教えは現在のストイックさに生かされている。

ただ、残念ながらチームからは誰もトップチームへと上がれず。志知は評価は高かったものの、身体の線の細さがネックとなってしまった。この悔しさが、今の筋肉バキバキの志知を作る一端となったのだろう。

高校卒業後は、知り合いの指導者の勧めもあり東海学園大学へ進学。2年時にインカレ(全日本大学サッカー選手権大会)に出場し、ここで評価を上げたことで全日本大学選抜にも選ばれた。

選抜は手の届かない場所だと思っていた志知だったが、思いの外通用することが分かり、これによってプロという目標に現実味が。

そこからは目標のために多数のJリーグのクラブへ練習参加。その中でも2015年2月のキャンプで練習に参加をした松本山雅FCから高評価を受けて、4月に2016シーズンからの松本山雅への加入内定が発表された。

翌月の5月には松本山雅の特別指定選手に承認されると、5月20日のヤマザキナビスコカップ(現・ルヴァンカップ)ですぐに公式戦デビューを飾るなど即戦力として期待されていた。

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松本山雅、福島ユナイテッドFCで

2016年松本山雅へ正式加入したが、しかしプロ1年目は公式戦出場ならず。

それでも2年目の2017年2月26日、横浜FC戦の終盤に投入されJリーグ初出場。
その後もほとんどの試合でベンチ入りすると共に2試合でスタメン出場したが、目立った結果は残せず。

7月12日、天皇杯3回戦、J1サガン鳥栖との試合にスタメンで出場し先制点となるプロ初ゴールを決めたその翌日、J3の福島ユナイテッドFCへ期限付き移籍することが発表された。

7月22日の藤枝MYFC戦で早速スタメン出場すると、第30節を除く全試合で主に右サイドハーフとしてスタメン出場。
両サイドをこなせることもあって重宝され、16試合で2アシストを記録している。

西村卓郎氏、長谷部監督との出会いと飛躍

それらの試合を観て光るものを感じたのだろう。水戸ホーリーホックからのオファーが届いたことで、2018年12月、2019シーズンより水戸に完全移籍で加入することが発表された。

そして、ここで前述したように長谷部監督と出会い左サイドバックとして起用され続けたことが、J1でも出場機会を得られる選手へと変貌を遂げる大きなきっかけとなった。

この1年でJ2でも屈指のSBとの評価を得た志知にはJ1クラブからのオファーも届き、昇格したばかりの横浜FCへの移籍を果たした。

そこから先は、始めに述べた通りだ。

今季は水戸で共に戦った長谷部監督、前寛之、村上昌謙と再会することとなる。
良く知る監督のもとで、良く知る選手とプレーするのだから戦術への適応も速いことだろう。

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パーソナリティ

ここからは一時余談のようになるが、端正な顔立ちに物凄い筋肉を持つ志知は、きっと女性サポーターからも大きく人気が出ることだろう。

せっかくなので、どんな人間なのか分かる範囲で記す。
マスコミなどに対しては決して饒舌ではなく、口数が多いほうではない。

胸板の厚さなど物凄い筋肉を持っていることからも分かるようにストイックな性格だが実は甘党で、たまにチーズケーキやふわふわのパンケーキを好んで食べるそう。

その反面、お酒には弱くすぐ赤くなる。また昔から柴咲コウが好きで、好きな女性のタイプは感覚の合う人とのことだ。

圧倒的な伸びしろ

話は戻るが、これまでに書いた内容からも分かるように、志知が左サイドバックでプレーするようになって実はたった2年しか経っていない。

まだ、伸びしろだらけなのだ。

それなのにその間、水戸では完全にレギュラーとして5得点4アシスト、昨季はJ1でも22試合出場2得点と結果を残した。

ついに、縦への推進力と、左足の強烈なシュート、加えてFKでゴールを奪うほど高いキックの精度と鍛え抜かれた筋肉を発揮できるようになったのである。

守備に関してはまだ向上の余地がある。が、守備構築に長けた長谷部監督もとでプレーをし、対人守備に優れた輪湖らと激しいポジション争いすることで改善されていく可能性は高い。

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志知の「勝利への執念」と期待

水戸時代、サイドバックへとコンバートされて間もない志知が、スタメンで出場したホーム千葉戦だった。

1点ビハインドで迎えた終了間際、志知は得意の左足で記念すべきJリーグ初ゴールを決めた。通常であれば大喜びする場面だろうが、引き分けで試合が終わったためか志知は険しい表情でピッチをあとにした。

自他ともに認めるほどに負けず嫌いという志知の性格がよく分かるエピソードだが、そのメンタルは今のアビスパに間違いなくフィットする。

アビスパのサポーターは他のクラブのサポーター以上に、走れ、闘え、諦めない選手が好きだ。志知には、愛される要素が揃っている。

今季の左サイドバックのライバルはいずれもしっかりと特徴を持っている。けれども自らそこに飛び込んできたということはポジションを奪う自信もあるのだろう。
現に、志知ほどの攻撃性能を持つ選手はいない。

試合終了間際、後方から攻め上がって土壇場で決勝点を決める、そんな姿を観たい。彼のプレーに、そして内に秘める闘志に、要注目だ。

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