神山竜一に、改めて感謝を伝えるために
前書き
昨年11月、神山竜一が引退するという発表があったのち、実は一度記事を書いてnoteにも載せた(今も残してはある)。
だが当時はnoteを始めたばかりだったこともあり内容があまりに薄っぺらく、時間が経てば経つほど後悔の気持ちが強くなっていた。
そこで、前回の記事を大幅に加筆修正(文字数で言えば倍以上)するという形ではあるが、神山竜一のサッカー人生について、そして思うことを改めて記すこととした。
アビスパ福岡へ多大な貢献をしてくれ、神セーブで幾度となくスタジアムを湧かせてくれたGK神山竜一へ、改めて感謝を伝えたい。
神山竜一の引退に際して
2020年11月1日、JFLのラインメール青森のHP上で、アビスパ福岡で16シーズン、その後はラインメール青森で2シーズンプレーをしたGKの神山竜一が、2020シーズン限りで現役を引退するという発表が行われた。
2020シーズンは出場がなかったこと、11月10日には36歳を迎えたことを考えると、大きな驚きがあったわけではない。
けれども、アビスパの歴史の中でもGKで最も在籍期間が長く、J1・J2合計で242もの試合に出場し、Jリーグのクラブではアビスパでしかプレーしなかった神山が引退するということを現実として突き付けられた時、そこには大きな悲しみがあった。
正直に書くが、神山はアビスパのサポーター以外に覚えられるような記録を持つ選手ではない。しかし、だからこそ記さねばならないと感じたのである。
無理矢理サッカーをやらされた、大きな少年
青英学園SCで、4歳の頃にサッカーを始めた神山。
のちにプロサッカー選手になった人の中でも早いスタートだが、それは父親に無理やり入れられたから。さらに、身体がずば抜けて大きかったために、これもやや無理やりにGKをすることになってしまう。
ただ、この2つの無理矢理が神山の人生へ大きな影響を与えるのだから面白い。
小学生になった神山は、引き続き青英学園SCでプレーを続けた。
チームは強く、6年生の時には全少(U-12 全日本少年サッカー選手権大会)の大阪予選の決勝まで進出する。それも、GK神山の活躍で、ベスト32から4試合連続でPK戦を制して。
決勝でも神山は試合中のPKを止めたが、惜しくも敗れてしまった。
こう書くと当時から物凄い選手だったように思えるだろうが、小学校6年生ですでに174cmと非常に大きかったために横に倒れるだけで止められただけだそう。
実際には決して上手ではなく、ゴールキックを自分で蹴れずCBに蹴ってもらっていたほど。そのため、強豪チームのGKにも関わらず選抜には全く選ばれず。
ガンバ堺JYと立正大学付属湘南高校
中学生になった神山は、小学校時代のチームメイトが何人かそこへ行くと言っていたこともあり、ガンバ堺ジュニアユースでプレーをすることを選択。
ガンバと付くと凄いチームのように思えるが、当時はガンバ大阪ジュニアユースとは違いセレクションさえなかったそう。
練習場所は、広めの公園の土のグラウンド。厳しい環境だったが、おかげでハングリー精神が養われた。
その甲斐もあって、ガンバ堺ジュニアユースは1年生の時に大阪府で優勝。関西大会、そして全国大会にも出場している。
2年時にはナイキカップにも出場し、決勝で清水エスパルスに敗れてしまったが全国準優勝という成績を収めてみせた。
ところで、1歳年下の世代にはアビスパでもプレーをし、昨季までFC東京でプレーしていた丹羽大輝がいた。
しかし神山らの代の試合には絡めておらず、走るのが速かったイメージしかないそうだ。
当時のガンバ堺からJリーガーになったのは神山、丹羽、岡本英也の3人。3人ともがのちにアビスパでプレーしているのも、何かの縁なのだろう。
話は戻る。中学3年生になった神山はガンバ大阪のユースへと進みたかったが、しかしGKではのちにガンバの選手となる木村敦志が上がることになっていた。
監督に「一回高校に行ってみたらどうだ」と言われたものの、神山は勉強が得意でなく進路が絞られてしまう。
そんな時ちょうど、島根県の立正大湘南高校から話をもらい、渡りに船とばかりに親元を離れての進学を決意した。
立正大学湘南高校
立正大学湘南高校は島根県の強豪だが、神山は最初の頃からAチーム入り。
そのまま、1年生ながら正GKとして選手権に挑むこととなる。
抽選の結果、なんと開幕戦で前回大会優勝の市立船橋と対戦することに。
力の差は大きく、それを覆すためにサッカー部の監督である南先生は奇策を考案。
試合中のCK時、全てに神山がゴール前へと上りニアに突っ込むというもので、選手権の前には練習もしていた。
そして実際に選手権で行い、得点には繋がらなかったが話題を呼んだ。
市立船橋には負けてしまったが、これをきっかけに神山は年代別代表にも一度呼ばれている。
「こんなにサッカーが上手い人達がいるんだ」と知ることができ、これが上達へのターニングポイントとなった。
2年時、3年時にも全国には進んだが1回戦敗退。3年時には初戦の1週間ほど前に肉離れを起こしてしまい、痛みがある状況で強行出場している。
これらの頑張りが、プロへの扉をこじ開ける。
選手権でのプレーや代表にリストアップされたのを見て、アビスパ福岡から練習参加のオファーが届いたのである。
高校の1つ下の代に柳楽智和がおり、アビスパは彼にも注目していた。そのため練習には柳楽も一緒に参加。ただ、2回参加したが、1回は夏で熱中症になってしまっている。
また、やはりプロはレベルが高く、付いて行けるかな…と不安になったそうだが、最終的にはプロ入りを決断した。
神山竜一のプロサッカー人生
2003年アビスパへと入団し、プロサッカー選手としての一歩を踏み出した。
GKはサッカーにおいて特殊なポジションである。唯一手を使えるということもそうだし、出場枠は常に1つ、ベンチ入りもほぼ1枠のみ。
そのため若手選手には中々チャンスが巡って来づらい。
高卒でアビスパに入った神山もやはり、しばらくは出場機会を掴むことができなかった。
デビュー戦はプロ4年目となる2006年。
念願のJリーグ、それもJ1でのデビューを飾ったものの、この年の出場は1試合のみに終わっている。
しかし翌年、こちらもアビスパサポーターには馴染み深い水谷雄一が移籍しアビスパを離れると、神山がレギュラーに定着。
武器は188cmの恵まれた体格をいかした圧倒的な1対1の強さと、全く迷いのないプレー。反面、ビルドアップやキックの精度には難があったが、やはりGKにとって最も大事なのはシュートを止めることだ。
そこが素晴らしい神山は、加えてピッチを一歩離れると非常に優しくファンサービスが素晴らしいこともあって、多くのサポーターに愛された。
その後も、2009年こそ怪我で長期離脱を強いられ出場が0に終わったものの、2006年〜2016年の長きに渡り試合出場を重ね、その合計はJ1で26、J2で216をも数えている。
ただ、2017、2018と2シーズンは出場がなく、2018年をもってアビスパと契約満了。それでも、16年間の長きに渡りアビスパへと多大な貢献をしてくれた。
その後も現役にこだわり、JFLのラインメール青森へと移籍。
2019シーズンは13試合に出場したが、2020シーズンは膝の調子が良くなく、出場なし。ピッチの上で、プレーで自分を表現できないのであれば辞め時だと感じ、2020シーズンを持って引退することを決断した。
神山竜一というGKへの想い
仮に、アビスパの歴代ベストイレブン、そしてベンチ入りの7名を個人的に考えたとする。
忖度を抜きに正直なことを言えば、スタメンのGKは中村航輔かセランテスを入れる。
だが、ベンチには間違いなく神山竜一を入れる。それは出場するための準備を全力でし、仮に出場機会がなくてもチームファーストの考えでチームを盛り上げ、出場機会が訪れた際には常にベストを尽くすことのできる選手だから。
実力ももちろんのこと、チームに確実に良い影響を与えてくれるからだ。
これができる選手は、意外と少ない。
アビスパでプレーしていた頃、神山はこう語っていた。「現役の内にこのチームがJ1で戦えるチームになったらいいし自分も貢献できたら。」
「夢はアビスパでJ1で優勝すること。」
残念ながらこの夢は実現とはならなかったが、アビスパは2021シーズンをJ1で戦う。
そしてこのシーズン中には、ベススタで神山竜一の引退セレモニーが行われる予定でもある。
アビスパ福岡が成長し、J1に相応しいクラブになったという姿を、神山に目の前で見せる大きなチャンスだ。
神山竜一自身も、先日、アスリートのセカンドキャリア支援の会社のアドバイザーに就任することが発表された。
新たな道での活躍を今後とも応援しつつ、ベススタで観られる日を楽しみにしている。
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