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アビスパのSGGK、セランテスの道のり

いよいよ残り2試合となった、2020シーズンのJ2リーグ。僅差での2位におり重要な試合が続くアビスパだが、現在の(2種登録を除く)30人の選手の中に実は昇格請負人がいるのをご存知だろうか。
チーム内の他の誰よりも昇格を経験している選手こそ、去シーズンから最後尾でチームを支える、ラ・リーガからやってきた強力助っ人だ。

ジョン・アンデル・セランテス・シモン。
登録名、セランテス。

昨季は41試合に出場し、年間を通して低迷したチームのJ2残留に大きく貢献。
今季は2年目を迎え、村上、杉山、山ノ井とハイレベルな争いを繰り広げながらもGKの中で最多の出場数を誇っている。
昇格を懸けて戦うアビスパの、最後の砦である。

セランテスは世界中のプロサッカーリーグの中でもイングランド・プレミアリーグと並び世界トップである、スペインのラ・リーガからアビスパへとやってきた。ラ・リーガでも一時はレギュラーの座を掴んだ彼が、なぜ日本へとやってきたのか。彼の人となりを含め、記していく。

日本との縁

セランテスが日本でプレーすることになった理由の1つは、彼がサッカーを始めたきっかけですぐに分かる。

セランテスは、ビルバオの近く、バラカルドという地で生まれ育った。そしてスペインでも人気が高く、「オリベル(大空翼)とベンジ(若林源三)」というタイトルで親しまれているキャプテン翼のベンジ、つまりはGK若林源三に憧れて6歳の頃フットサルを始めた。
つまり、本格的にボールを蹴り始めた時点で日本という国との縁があったのである。
とはいえ、その頃のセランテス少年はもちろん、将来日本でプレーすることになるとは露ほどにも思っていなかっただろうが。

プロに辿り着くまでと、ビルバオ

最初に入ったフットサルチームにGKがいなかったこともあり、フットサルを始めて2ヶ月でGKとしてプレーすることに。9歳でサッカーに転向したが、それからもやはりずっとキーパーを務めていた。

バスク人のGKには真面目さ、規律正しさ、集中力が求められるそうだ。
セランテスの特徴でもあるそれらは、幼い頃から植え付けられたものなのだろう。

その後はアスレティック・ビルバオの下部組織の練習場、レサマで経験を積んでいく。
ビルバオはバスク州ビスカヤ県ビルバオに本拠地を置くクラブ。
サッカーファンには良く知られていることだが、ビルバオは現在でも純血主義を貫いている。つまり、いくら移籍市場が開かれ、世界中の選手を獲得できるようになった現代においてもバスク人のみで戦ってきた。しかも、100年以上1部を死守してきた。
スペインで降格を経験したことがないのは、2強と言われるバルセロナとレアル・マドリーの両クラブと、そしてビルバオだけなのだから本当に凄い。
もちろん、バスク人のみで群雄割拠のラ・リーガを戦うことは簡単ではない。
それでも今日まで成し遂げられているのは、レサマでの若手選手の育成に、年間予算の約16%ほどもつぎ込むほどに力を入れているからである。

そんな、若手選手にとって恵まれた環境で育ったセランテスだったが、ラ・リーガまでの道のりは遠く、持ち前の真面目さと努力で一歩一歩歩みを進めていくこととなる。

プロデビューから、ラ・リーガまで

2008年、セグンダ・ディビシオンB(3部)のバラカルドCFでついにプロデビューを果たしたセランテスだが、その後も下部リーグでのプレーが続いた。2011年1月には慣れ親しんだアスレティック・ビルバオに移籍し傘下のビルバオ・アスレティック(3部)でプレーするも、結局トップチームへの昇格はならなかった。

それでも2014年7月、セグンダ・ディビシオン(2部)のCDルーゴと契約し1つ舞台を上げると、9月に同じくセグンダのCDレガネスへローン移籍。これが大きな転機となる。
2014-15シーズンの25試合に起用されレガネスの正守護神の座を掴むと、2015年7月にはレガネスへ完全移籍。
その期待に応えるように、2015-16シーズンはセグンダで全試合出場を果たした。
セランテスの活躍もありチームはリーグで2番目に失点が少なく、クラブ創設88年目にして初のプリメーラ・ディビシオン(1部)昇格。クラブ史に未来永劫残る快挙に、大きく貢献してみせた。

そして遂に、念願だった舞台に立つ。2016年8月22日のセルタ戦でプリメーラ・ディビシオン(1部)デビューし、1-0の完封勝利に貢献。
続くアトレティコ・マドリード戦も完封したことで、なんとプリメーラ・ディビシオンの8月の月間最優秀選手に選出された。この活躍で、クラブ初のプリメーラ・ディビシオンを戦うレガネスの正GKにも定着してみせた。

しかし、ラ・リーガでの活躍は長くは続かなかった。
原因となったのは、怪我。11月26日のエスパニョール戦で膝の前十字靭帯断裂という大怪我を負い、このシーズンを終えることに。

怪我の癒えた翌2017-18シーズンも、GKクエジャールの獲得と肩の怪我もあり、1試合の出場に留まってしまう。

アビスパとの関係と、愛情

それでも、見ている人はいるものだ。
GKの補強を画策していたアビスパが、スペインの1部・2部などで計182試合に出場してきたセランテスにオファーを出したことで、セランテスは若林源三を生んだ国でのプレーを決意。
もともとセランテスが海外でのプレーを考えていたこと、文化や人という部分でも日本の評判が良かったことも大きかった。

来日後すぐに日本語で挨拶するなど早くに馴染んでみせたセランテスだが、その裏にはやはり努力があった。
J2のGKは全員チェックし、来日から約3ヶ月で平仮名50音の読み書きを習得。日本語講座も受講している。

それらの甲斐もあり、昨シーズン、チームが大きく低迷してしまったなかでもセランテスは好パフォーマンスを披露。第7回アビスパ福岡選抜総選挙で1位に輝くなど加入1年目からチーム屈指の人気選手、そして愛される選手になったのである。

今年も開幕戦から安定したパフォーマンスを披露していた。

ところが6月、激震が走る。スペインの報道で、古巣・ビルバオからの打診が伝えられたのだ。
自分がトップチームに昇格できなかった、目標にしていたチームからの打診。物凄く嬉しかったことだろう。それも天秤にかける相手は日本の2部リーグ。移籍を選択しても全くおかしくない。
個人的にも、相手が悪すぎると感じていた。

しかしセランテスは、ビルバオへの深い愛情と感謝を伝えながらも、「僕はここでとても幸せだ。どこかに行こうとは思わない。」とはっきりと移籍を否定したのである。

このコメントを聞いて、来日当初の発言を思い出した。
「1日でも早くチームに適応し、1年でも長く日本でプレーしたい。」
リップサービスで似た発言をする選手も多いのだが、セランテスのこの発言は心からの本音だったのだ。

先日快勝した京都戦のマッチデイニュースにもセランテスのインタビューが載っていた。ここでも「あと4年くらい日本でプレーしたい。」と日本への愛情を語っている。現在31歳のセランテスにとって、つまりは残りのキャリアのほとんどを日本で過ごすつもりなのだろう。

それほどまでに日本での生活を気に入ってくれていることを嬉しく思うし、その4年をアビスパと共に歩んでくれると、更に嬉しい。

セービングの凄さ

セランテスが高く評価されサポーターに愛されている訳は、彼の人柄もあるが、最大の理由はやはりビッグセーブが多いがためだろう。
中でも、昨年のホーム愛媛戦のように、片手で触るのが精一杯であったのにボールが枠の外まで外れていくことが多い。

まるで奇跡のように見えるが、それらもやはり努力の賜物によるものだ。
腕を鍛え、手のひらにしっかりボールを当てようと常に意識してプレーすることで、ビッグセーブへと繋がっている。

昇格請負人、そして未来

そして、冒頭にも書いたが、実はセランテスはアビスパの誰よりも昇格経験が多い。
2部から1部への昇格というのはレガネスでの1度だけだが、下のカテゴリーでは5度ほども昇格を経験しているのだ。
そういう意味でも、この昇格が懸かった局面において最後尾にセランテスがいることは心強い。
愛媛戦と徳島戦に向けて、選手達には、幾度となく昇格を経験してきたセランテスの発言を胸に刻んでいてほしい。「昇格にはチーム一丸が最低条件。5分しか出場時間がなくても、その5分は今までの人生で1番大事な5分として使わなきゃいけない。」

実力はもちろんのこと、人柄も含めてアビスパにとってのSGGK(Super Great Goal Keeper、若林源三の異名)であるセランテス。
これだけの実力と人柄を併せ持つGKはJ1でもほぼいない。
まずは残り2試合。そして来季もアビスパで、それもJ1という日本にとってのプリメーラ・ディビシオンの舞台で。セランテスという名を轟かしてくれることを願っている。


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