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新加入選手紹介:杉本太郎 3度目の正直

サッカーはなぜ、世界で最も人気のスポーツなのか。
そこにはたくさんの理由があるが、そのうちの1つは「体格で差が出にくい」ということが挙げられる。

バスケットボールやラグビーなどコンタクトの激しいスポーツはもちろんのこと、そうでなくてもバレーボールや野球なども身長は高いにこしたことはない。

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しかし、サッカーはポジションごとに求められるスキルが大きく異なる。世界最高の選手とも言われるメッシが170cmであるように、身長が小さめの選手でも活躍できる場があるのだ。

平均身長を下回る選手も、何人も活躍している。現在のJリーグでいえば155cmの中川寛斗(京都サンガFC)や161cmの仲川輝人(横浜F・マリノス)などが当てはまるが、アビスパ福岡へ新たに移籍してきた杉本太郎もその1人。

今回は、そんな杉本太郎のサッカー人生のここまでを振り返る。
実績もプレーぶりも、スケールが大きい男だ。

杉本太郎ものがたり・1

岐阜県多治見市出身の杉本がサッカーを始めたきっかけは、小学校1年生の時に姉の友達からサッカークラブに誘われたことだった。

元々運動神経が良く、初練習で褒められたこともありサッカーにのめり込んでいく。

その後名古屋グランパスエイトU-12に所属するが、中学生になると地元岐阜県のチーム、岐阜VAMOSに移りサッカーを続けている。

岐阜VAMOSは萩晃太(元神戸や甲府等。現在は神戸のスクールコーチ)や青山直晃(元清水や甲府等。昨季限りで鹿児島を退団)、津田知宏(元名古屋や徳島等。現在はFCマルヤス岡崎=JFL)などを輩出した強豪チーム。

そこで揉まれ、岐阜の強豪・帝京大学可児高等学校へ進学した。
ここでチームでの活躍はもちろんのこと、世代別日本代表の中心選手となったことで杉本太郎の名はサッカーファンに知られるようになっていく。

中でも一躍有名にしたのが、2012年に行われたAFC U-16選手権。この大会で3得点を奪って日本の準優勝とU17W杯出場権獲得に多大な貢献をしたことで、大会MVPに選出されたのである。

さらに同年のAFC最優秀ユースプレーヤー候補にもノミネートされるなど、アジアの若手選手の中でもトップクラスの評価を受けた。

また、ナイキ社がロナウド(元ブラジル代表)のために開発し、デビュー15周年を記念して1998足限定で販売した「マーキュリアル ヴェイパーIX SE」。そのうち15足を世界の若くて才能のあるフットボールプレーヤーに託すことにしたのだが、杉本はそのうちの1人にも選ばれている。

この時高校3年生の杉本のコメントが実にしっかりしており、プロ入り後も全くブレていないことがまた凄い。
「選ばれたことは自分の自信になるが、これで満足したら成長しなくなる。調子に乗らずに謙虚な気持ちでやっていきたい。」

U-17W杯本大会でも背番号8を付け、チームのグループリーグ突破に貢献している。

杉本太郎ものがたり・2

そして2014年、鹿島アントラーズへ入団。
新体制発表会でセンターポジションに配置されるなど、杉本に対する期待は非常に大きいものだった。

しかし同期入団のカイオがすぐさまレギュラーに定着するのを横目に、杉本の主戦場は当時J3に参加していたJ-22(Jリーグ・アンダー22選抜)と悔しいものに。

身体が小さかったことでどうしても、プロになりタイトに守られるようになることで難しさが出てしまったのだろう。

それでも、7月27日の浦和戦でJ1デビューを飾っている。

翌年のテレビ番組で、槙野智章(浦和レッズ)が気に入った選手に杉本を挙げている。上記のJ1初の試合で槙野との1対1で負けた杉本は悔しさから両手を振り上げ「クソッ!」と声も発したのだが、槙野はこの負けん気の強さが印象に残ったそうだ。

緊張で硬くなる選手も多い場面だが、杉本はそんなことよりも結果を出すことに拘っていたのである。

この悔しさを糧にその後も努力を続けるが、しかしこの後はチームの層の厚さもありなかなかチャンスが訪れない。
2015シーズンは1試合のみの出場に終わった。

それでも3年目となる2016シーズン、14試合に出場し7月17日の甲府戦ではついにJ1初ゴールを決めてみせるなど、努力の成果を徐々に示し始める。

さらなる出場機会を求め、2017シーズンを前にJ2の徳島ヴォルティスへと期限付き移籍。

スタジアム外に飾られる絵馬に他の選手が「J1昇格」など書くなか杉本は「捧げる」と書いたほど、覚悟やサッカーだけに集中するという気持ちを強く持っていた。

この決意は早速実を結び、開幕戦の東京ヴェルディ戦でスタメンに入ると移籍後初得点。

その後は結果を出さないといけないという焦りから冷静さを欠いてしまうこともあったが、シーズンを通して出場することで精神的にも徐々に成長。
守備面でも向上しつつ、41試合で6得点とその能力を示した。

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もちろん徳島からの評価も高く、シーズン終了後には期限付き移籍期間を1年間延長。
2018シーズンは背番号も10へと変わり、チームからの期待を背負って戦うことに。

だが、4月のFC岐阜戦で右ハムストリング肉離れ。全治6週間の怪我を負って離脱したこともあり、この年は24試合出場で1得点と数字には繋がらず。

それでも、身体を鍛え抜いたことで対戦相手へのインパクトは大きくなっていった。

東京Vにいた渡辺皓太(現在横浜F・マリノス)がこの年に対戦し最も衝撃を受けた選手に、杉本を挙げている。

巧くて速くて強い、あんなの初めてでした。と今ではJ1でプレーをする渡辺に言わしめるほどに、杉本のプレーの完成度は上昇しつつあった。

2019年、再びトップリーグに挑むためJ1に昇格した松本山雅FCへ完全移籍。
残念ながらチームは降格の憂き目にあうが、杉本は27試合2得点1アシストと一定の成績を残す。

松本2年目となる2020シーズンは過密日程のなかJ2で36試合5得点。最終節では愛媛を相手に2得点し勝利の立役者になってみせた。

そして2021年の1月8日、J1へ昇格するアビスパ福岡への完全移籍での加入が発表された。

25歳で迎えるシーズンに向けて

杉本にとって、鹿島、松本山雅に続いて3度目のJ1への挑戦だ。
ここでブレイクを果たし3度目の正直となるかは、アビスパの戦術にフィットするかがカギとなる。

その点においては、長谷部監督の考え方とSHに求めるタスクとが間違いなく杉本のそれとマッチする。

長谷部監督のサッカーは勝つことを最優先としたものだが、杉本も「これまでサッカーで悔しい思いをしてきたから絶対に負けたくないし、優勝した時の喜びも知っているから絶対に勝ちたい。どういうサッカーをしたいかと言われたら、勝つためのサッカーという答えしか浮かばない。」
とコメントするほどに勝利へ貪欲。

また、SHの運動量と守備への貢献が非常に大切な戦術であるなかで、杉本は守備への労も惜しまないタイプでもある。

攻から守への素早い切り替えでボールを奪い返すことにも、「昔から自分のストロングポイント。当たり前にやった上での足元の技術だったりが重要。」とさも当たり前かのように言ってのける姿は頼りになる。

杉本と言えば独特なボールタッチ、テクニカルなドリブル、パスを出したあとのランなどが注目されがち。

だが、実は非常に完成度が高い選手である。必要以上にボールを持つことはなく、身体を張って味方に繋ぎ、守備でもチームを助けることができる。

身体が小さいことでここまでやや時間はかかったが、努力と根性でフィジカルコンタクトにおいてもそうそう負けなくなった。

2019年に発した、「タイミングが合えばいずれ海外で。日本代表も狙っている」というコメントを達成するためにはここから少々巻いていく必要はある。

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けれど、プロになる前もなってからもまるでブレていないし、着実に歩んできた。それによって、プレーヤーとしての五角形はバランス良く、サイズも大きくしてみせた。

「自信と慢心は紙一重」という言葉をこれまでもこれからも胸に刻み、地道に高めた総合力でここから徐々に先を行く者達との差を詰めていくはず。

徳島時代の盟友・渡大生と共にプレーできることもプラスだ。2021シーズンが、杉本太郎にとって大きなきっかけとなることを願っている。


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