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さては、天狗に呼ばれたか?

5月のある土曜日の晩、「明日の休日をどう過ごすか?」
そんな悩ましい命題を抱えることが多い。
とりあえず、文庫本と珈琲豆の在庫を切らしていたので京都には行く。
問題は単に在庫補充にのみ行くのか否か?だ。

ひさしぶりに大原あたりまで足を延ばしてみようかと思いつく。
それも三千院や宝泉院ではなく、寂光院はどうだろう?

さて自宅から大原へ行くには、京都地下鉄『国際会館駅』からのバス利用が多い。
でもこれまたひさしぶりに叡山電車に乗るのもいいかと。
その場合は出町柳から八瀬比叡山口、そしてそこからのバスになる。
こんなふうにあれこれ思案している時にふと浮かんだのが、鞍馬寺だった。

9年ぶりの鞍馬寺

鞍馬へ行くことは、2014年の2月に当時9歳だった娘を連れて以来という微かな感傷を込めた選択でもあった。

あの頃は外国人観光客がわんさか押し寄せる京都ではなく、特に2月の鞍馬はとても静かだったと記憶している。
道端に寄せられた残雪に出くわすたびに足を止めるとてもスローな行程だったし、どちらかというとそんな彼女を急かすように歩いたと思う。
その時はわからなかったが、今となればそんな足止めすら愛おしい想い出となるんだからもっとのんびり歩けば良かったのだ。

そして、月日は流れて娘は17才になった。
よく言われているような、父親に関する嫌悪感の類のようなものは一切示されていないことはとても幸せなことなんだろう。
それでも、娘との距離感は彼女が年齢を重ねるにつれて広がっている。
これはもう、息子も娘も関係ないことだから仕方がない。
子供の世界がどんどん広がっていき、親から離れていくことはごくごく自然なこと。
そのことに寂しさは感じるが、その分自分の時間を使えるようになってきたのだからお互いさまと言えよう。

ただ時々、彼らの小さかった頃の写真を見返しては小さなため息を漏らしてみたり、感傷に浸るぐらいは許してほしい。

2014年2月の鞍馬寺

lightroomで過去写真を引っ張り出す。
cameraは、SONY RX100M2だった。
そして今年持ち出したカメラは、偶然にもRX100M7。
しかもこのカメラは、つい最近手に入れたばかりで、それなのに鞍馬寺を選択するあたり、必然だったんだなどと思ってみるのも面白い。
いや、天狗の小さなイタズラ心から呼ばれたんだろう。
そう思う方がなんだかおもしろい。



登りはずっとうつむいて歩いていたっけ



下りの足取りは軽いのだ




2023年5月の鞍馬寺







あの時行けなかった奥の院へ向かう



普通は貴船への周回。しかしあえての折り返しで感傷に浸るのだ



あの時、出町柳駅から鴨川を四条河原町まで歩いてそのまま阪急電車で帰路に着いた。
心残りがあるとすれば、せめてマクドでもいい、いっぱい寄り道をして帰ればよかった。
お菓子とかジュースとか買い込んで鴨川べりに座ってたくさん話をしてから帰ればよかった。

そんな今更なことを思いながら、ひとり初夏の鞍馬を歩いてきた。



















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