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制作の変移


自分はとても臆病で、人に対して自分の本心を伝えることを恐れている。


例えば友人が対人関係における悩みを持っているとしたら。
個人的でナイーブな問題に対して、共感できることが多く、自分ならどう捉えるか考えてみる。しかし、それはあくまで自分だったらの話で彼女がそうしたいかなんて分からない。直接思ったことを伝えたら良いのだろうけど、私はそこで人とぶつかってまで自分の意見を伝えたいとは思わない。

だからこそ作品を制作することで、相手に対して意思疎通を図ることから逃げているんだと思う。そして、その作品を鑑賞者に見せることによって、その捉え方について意見をもらえるのがとても貴重なフィードバックだと思う。作品で社会と本来の自分とのつながりを見出している。
私が作品で生み出しているものは、とても繊細でまわりくどいコミュニケーションだ。



「1対1のコミュニケーション」、「共感=他者理解→自己理解」、「唯識思想の中の他人」
みたいなところに興味を持って作品を成立させている。


初めて写真で制作していたのは「unknown」という作品だ。

これはガラスに写された街ゆく人の写真を撮ることにより、自分と他人の関係のなさを表している。
友人が人の多い電車に乗ることができなくなったのがきっかけでこの撮影が始まった。彼女はその時、精神的ダメージを負っていて周りの視線が極度に気になり、安心して電車に乗れなかったそうだ。私はそれに対して言葉の代わりにこの作品を通して自分が思う他人の捉え方を提示したかったのだと思う。
私は他者に対して、お互い無関心である心地よさを感じていた。それは他者との自然に視界に入る距離は問題ではなく、自分に興味がないか、自分が他者に興味がないかが重要だ。必然的に人が多く集まる都市にいれば、カメラを構えても声をかけられることはなかった。



次に制作したのは「Lowres image」という作品だ。

登下校時に出会う花や、人や、ゴミ収集車など、身近なものを網越しに撮ることによってピクセルアートのようなイメージを作り、情報を減らしている。


これは普段生活している中で確実に見てはいるけれど見る意思がない為に意識外にあるものに焦点を当てて、記憶の中の解像度が低い記憶を表している。

「見えているのに見る意思がない」ものという点ではunknownと繋がりを持っている。
情報として目で取り入れているのに見る意思が無いから記憶には残らない。写真だとそういった本来残す必要のない記憶を記録として保管しておくことができる。
それをあえてガラス越しに撮ったり、網越しに撮ったりして複雑なレイヤー構図にする。
この行為から自分にとっては見る意思が無いものを改めてそれがなんであるか捉える必要が無いことが言える。それよりも、見ているのに見ようとしていないことに対して面白く感じているのだと思う。


その次に作ったのはミクストメディアである「会話の糸口」だ。


不明瞭に撮影した友人の上に刺繍糸が縫い付けられていて、至る所に電子ワイヤーが垂れ下がっている。これは会話すること、話題を提供することはとても危険で、いつ自分が相手の地雷を踏んでしまうかわからない。何気ない一言が相手を傷つけてしまうことがある。そのことを時限爆弾の電子ワイヤーを切る時の緊張感に見立てて作品を構成した。
この作品において見えていないものは友人である。この撮影の前、彼に突然大学時代の友人と結婚することを告げられた。それが自分にとって地雷だった。親しい仲だと感じていたけれど、急に距離ができたように感じた。私は数年彼と関わってきたけれど、その友人像は私が知っている友人でしかなくて、私と接していない時の友人はもっと違う要素を秘めているだろうと思う。

ここまで、自と他の境界に焦点を当てて制作をしていた。「unknown」のように自分と他者が全く別だと主張するもの、「Lowres image」のように自分の中にあるように見たようで見えていない物事、「会話の糸口」のように他者の中にある見えていない物事。
自分が見えている世界の狭さみたいなものに対する言及が多かった様に思う。


その後は造形的な面白さばかり追求した。

「surface」とタイトルをつけたこれは、不明瞭で何なのかわからないことは鑑賞者にとって興味の湧くイメージに繋がると感じ、色や形や質感でモチーフを選び、その前に網を置き、デジタル加工を施した様な写真を撮影していった。
この頃から展示を沢山させて頂く機会が増え、鑑賞者に対してわかりやすくかつ親しみやすいアプローチを意識していた様に思う。それは他者に対しての自分のコミュニケーションの取り方に似ている。否定が怖くて自分の核の部分を伝えられないのだ。振り返って見るとこの作品は私のやりたいこととはズレているけれど、私を表現しているなと思う。

自分が作った場を自分が思うままに撮影することは簡単だったけれど、私以上にはなれずそれなりの完成度と共に空虚さが残った。
私は制作によって何か気付きを得たかったし、自分の価値観が作品に現れた時こそアートの役割を得られるのではないかと思った。
この作品は鑑賞者にとって飾るには良いけれど、この作品を前にしてできる会話は自分にとって無価値に思えた。

それでも手癖で作品を作っていると、突然母から連絡があり、祖母の容体が悪化していることを知らされた。
祖母は特別養護施設に居るため、コロナの影響で会えておらず一年ほど経とうとしていた。もうそんな歳だけれど、アルツハイマーの祖母の記憶の中に私はもういないのだけれど、いざとなるとどうしても苦しくて受け入れたくなかった。
が、私がどう感じても、時間は流れていくので、祖母と向き合うことにした。

祖母の「背中の火傷」はとても重要だと感じた。過去何があったかが自身が見えない背中に残っているということ。それは私が見てきた祖母でもなく、祖母が見せようとした祖母像でもなく、とても本質的な祖母自身なのではないかと感じた。

私は背中を模した立体物を作り、貰い手がなかった写真を埋め込み、皮膚のようなシリコンを被せた。石を敷き詰め、パーソナルスペースを確保できるような場所をつくり、安らかに眠れる場とした。

自分の作品の説明をこのようにしていたが、この制作の意図はただ祖母の死を受け入れるためのプロセスだったとも思っている。


思えば私は色々なものに対して隔たりを作っている。ガラスや金網やアクリル板はイメージを不明瞭かつ曖昧にする意図も含まれているが、私と私以外との境界線だったようにも感じる。自と他は異なるので、他者を完全に理解することはできないのだと思う。

自分にとって、人と関係を築くことによって生まれるわだかまりのようなものをどう自分の中に捉えるか答えを導き出すプロセスである。それこそが他者理解から自己理解へ繋げることであり、つまり共感なんだと思う。
私はその共感を制作で具現化したい。

私はまだ祖母と向き合えていない。これからすべきことは祖母の遺品整理をすることで祖母との思い出を反芻したり、私が知らない祖母を母を中心に家族に聞くことだと思う。そこからレディメイドでの作品展開を考え、他視点からみた祖母像を空間的に展開させようと思う。それが残された私にとっての祖母とのコミュニケーションだと思う。


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