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こうありたいはダルいから捨てる


自分は今まで自分の見せ方にこだわっていた気がする。自己呈示した自分だけを見せたいと思い、色んな言葉や態度で表そうとしていた。でもそんな自分の多面性を表しても、なんかよくわからない妙な女だと周りから思われるだけで接しにくいだろうと思う。

たぶんそれは発達障害なのもあると思う。仕事などで自分の失態を見せてしまうと信頼を失うので、できる限り自分をよく見せようと繕ってしまう。100点の自分を見せようと振る舞ってしまっていた。
でもそういいつつも、ウェブライターの仕事は本気で周りの人と関わらずにいたからクビになるし、よくしてもらったバイト先では就職を打診されて思わせぶりな態度をとりつつ頓挫するし(しかも別の場所で2回してる)、カフェのバイトではケーキ10個をゴミ箱に落としてしまうし、販売職では忙しすぎて何故か指から血が出て店長に手当してもらい後ろめたさでバイトを飛び、パワーストーン屋さんでは28万の石を割ったクソみたいな過去がある。

どう考えても上手く振る舞えてたとは言えない。失敗を重ねて、自己評価と実際の評価の乖離をひしひしと感じていた。
それをヘラヘラして、反省してる感じを出してうまいこと繕っていた。そう思えばこの過程でリカバリーする力みたいなのは得られたかもしれない。いや、それは良いように言いすぎか。

とにかく100点の自分でいたい気持ちをADHDの注意欠陥な部分とASDのコミュニケーションの下手さがぶち壊す、みたいなことばかりだったなと改めて気付かされた。考えれば100点でいたい気持ちというのもASDであるが故のこだわりみたいなものかもしれない。
そういう自分を受け入れられれば、素の自分であることが許せるようになると思う。
社会人になったらちゃんと発達障害の検査を受けたい。そして発達っぽい言動もしゃーないと思って上手く共存できれば生きやすいだろうと思う。


色んな考えることをやめて、どこにいても初対面の人にでも素でいられたら楽だなと思う。どうすれば1番良い?正しく振る舞うには?と思ってたけれど、それは自分がやることじゃ無いなと思う。自分の評価ばかり気にして自分らしく振る舞えないなんて、人生やってる意味がない。
自分の椅子は自分で用意したい。

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