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[書評] ナナメの夕暮れ

はじめに

なぜこの本を手にしようと思ったのかは忘れてしまったが、どこかで知って「読んでみたい」と思い、気づいたら自宅に届いていた。読んでみたら面白くて一気読みしてしまった。以下メモ。

書評

「人見知り芸人」と言われる著者が、世間で起きていること、世間と自分との関係、世間に対する自分の中で起きる反応への考察などを綴っている。内向的であることは間違いないが、卑屈というわけではなく、むしろ素直な人間性を感じさせる筆致だった。他人に対する否定的な考えがブーメランとなり自分の思考や行動を制限する、といった指摘が本当にグサリときた。

引用&コメント

他人の正解に自分の言動や行動を置きに行くことを続けると、自分の正解が段々わからなくなる。バスの運転手になりたいのかどうかがよくわからなくなるのだ。(中略)多様化された世の中では自分の中の正解に自信が持てなくなる。なんとなく正しいことを言ってそうな、有名人のコメント、Twitterのアカウント。誰かの正論に飛びついて楽をする。自分の中の正解と誰かの正論は根本的に質が違う。 (『自分の正解』より)

これな。正解なんてない物事でも、最適解っぽい意見が簡単に入手できることを頭が覚えてしまっているので、ついググったりTwitterを見たりして「そうそうコレコレ」みたいな当てはまりのいい情報を探してしまう。これをやりすぎると、他人との生の会話で自分の意見を言うのを逡巡したり、そもそも自力で意見が生成できなくて黙ってしまう。思考のアウトソーシングを続けた末路。

「怒らされている」気がした。 (『ヌードルハラスメント』より)

実際は問題視している人はそれほどいないのに、話題になりそうなこと、話題にしたいことを恣意的に人々の中に放り投げて、煽り立てているのではないか、という指摘。ゴムのヘビのおもちゃを教室に投げ込んでパニックを起こすようなものと例えているが、言い得て妙。

野口さんにロケットが発射する前は怖くないのかと聞いたら「怖くないですね」「なんか大丈夫な気がしちゃうんですよね」と笑いながら答えてくれた。これだよな。と感心した。ぼくが手に入れることのできなかった、この内発的な安心感。こういうものを持っている人はとても強くて朗らかだ。 (『トム・ブレイディ』より)

宇宙飛行士の野口聡一とのやり取りから著者が感じ取った野口さんの強さの根源。自分も「内発的な安心感」って持ってないなぁと認識させられた。

しくじり先生の貴重な授業の数々で自分の心に一番残ったこと。それは「自分の弱さと向き合うことが一番難しい」ということである。特定の信仰を持つ人が少ないこの国では、自分の弱さを神の視点を通さずに自らの力でじっと見つめるのは難しいのではと感じた。 (『耳に痛い話』より)

台湾旅行に行ったときにお寺でお祈りをする多くの現地の人を見て、信仰する先が存在することにうらやましさを感じたのを思い出した。じゃあ自分も何かの宗教を信仰すればいいじゃないかという話なのだが、いまさら純粋に何かを信仰することなんでできないと思う。信仰するために信仰するというか。で、著者の指摘は鋭いと思った。神様に相談したり告白したり懺悔したりできない無信仰の人間は、ひたすらそれらを自己消化しないといけないがそんなことはやりきれないんじゃないか。著者も書いているが”耳が痛いことを言ってくれる信頼できる人”が必要だね。自分にはいない。

ワクワクするためには、安全すぎないことといつ来るかわからないことを引き受けなければならないのか。 (『花火』より)

シンプルな文章なんだけど、自分なりに考えた人の表現だなと感じた。

その時にやっと、人間は内ではなく外に向かって生きたほうが良いということを全身で理解できた。教訓めいたことでもなくて、内(自意識)ではなく外に大事なものを作ったほうが人生はイージーだということだ。外の世界には仕事や趣味、そして人間がいる。内(自意識)を守るために、誰かが楽しんでいる姿や挑戦している姿を冷笑していたらあっという間に時間は過ぎる。だから、ぼくの10代と20代はそのほとんどが後悔で埋め尽くされている。 (『凍える手』より)

自分が守っている自意識って何なのだろうと考えさせられた。きっと変なプライドなんだろうけどそれって何のプライド?自分の想像している外から見た自分の姿ってそんなにいいものなのか?

自意識過剰なことに対して、「誰も見ていないよ」と言う人がいるがそんなことは百も承知だ。誰も見ていないのは知っているけど、自分が見ているのだ、と書いた。”自分が見ている”というのはどういうことかと言うと、「グランデとか言って気取っている自分が嫌だ」ということだ。こういう気持ちはどこから来るかというと、まず自分が他人に「スターバックスでグランデとか言っちゃって気取ってんじゃねぇよ」と心の中で散々バカにしてきたことが原因なのである。他者に向かって剥いた牙が、ブーメランのように弧を描いて自分に突き刺さっている状態なのである。昔から言っているのだが、他人の目を気にする人は”おとなしくて奥手な人”などでは絶対にない。心のなかで他人をバカにしまくっている、正真正銘のクソ野郎なのである。(中略)自分の生き辛さの原因のほとんどが、他人の否定的な視線への恐怖だった。その視線を殺すには、まず自分が”他人への否定的な視線”をやめるしかない。 (ナナメの殺し方)

長い引用になったが、本書で一番効いた部分がここだった。他人のことを否定的に見ているという自覚はあまりなかったけれど、つい皮肉を言いたくなる癖があり、皮肉を言うために無意識にあら探しをしていることがあるなと気づいた。今日から直していきたい。

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