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#2 届くことのないラブレター①

私は季節の中で1番「秋」が好き。

春はスギ花粉に悩まされるからダメ、夏は暑すぎて汗をかくからダメ、冬は嫌いではないけど寒すぎる時があるからダメ。

だから、半分消去法のようになってしまうけど、私は穏やかに包み込んでくれる心地よさを兼ね備えた「秋」が1番好き。
何となく、秋は人間たちがゆっくり時間を過ごしている気がするのも良い。

(ちなみに、幼少期の私は秋になるとインフルエンザの注射をしなければいけなかったから、、結局秋も嫌いだった。私はこれから春夏秋冬全てに嫌気を感じて生きていかなければいけないのかと、公園のブランコに座りながら1人絶望した記憶がある。
今は注射1本くらいには"さほど"ビクつかない程度の強さを兼ね備えた大人になったから、もう大丈夫。)

さて、今では最も好きな季節になった「秋」だが、、私はそれでも一つだけこの季節は欠点を保有しているように思う。

それは、「寂しさ」である。

秋には何とも形容し難い、寂しさがあると思う。これから日照時間の短い冬の到来を目前に控えているからなのか、春と夏で燦然と輝いていた木々の葉が散ってしまうからなのか、、秋は私にとって寂しい季節でもある。

そんなことを誰に話すわけでもなく1人で考えていたある時、私がバイブルとして心の支えにしている「竹内まりや」の1曲が、この気持ちは間違えていないということを教えてくれた。

その曲のタイトルは『September』
歌詞の一節にはこうある。

セプテンバー そして九月は
セプテンバー さよならの国
めぐる季節の色どりの中
1番さみしい月

さらに、付け加えれば「哀愁」という言葉がある。
こんなことを言うと自分は金八先生なのかと誤認しそうになる(何となく今の髪型も似ている気がする)が、「哀愁」は秋に心と書いて「寂しくもの悲しい気持ち」を表現している。
誰がこの素敵な言葉を作ったのかは存じ上げないが、おそらくかなり昔から秋は寂しい季節として人々から認識されていたのだろう。

「芸術の秋」とはよく言うが、やはりある程度、寂しさや悲しみによって心が抑圧されていなければ良い芸術は生まれないものだと思う。だから、秋がわざわざ芸術用の季節にカテゴライズされるのも納得できる。

ここまで、私が秋を愛する理由をつらつらと書いたが、このnoteのタイトル"ラブレター"に繋がるのは次回から。

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