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カーテンの色


 最近,母がリビングのカーテンを新調した.印度藍のような色味(表現が分からずにすぐ調べた)であるカーテンは,麻のアイボリー色のものへ選手交代をした.私は引越しを2回(厳密には3回であるが記憶にないので実質2回)経験しているが,カーテンは変わらずこれであった.母はとにかく日当たりに拘る人であるため,日当たりの良い家で過ごしてきた.この暗いカーテンを使っても,リビングはいつも明るいように思えた.

 この藍色のカーテンは何十年もの間,我が家の成長を見てきた.弟と喧嘩すればカーテンに向かって立たされたし,テレビを観るときは必ずこのカーテンが目に入る.段々と汚れ,色あせて,生地が傷んでも,それらは家族の思い出のように感じることができた.『フラーハウス』のダニーがソファーに対して持つ感情(シーズン1,8話より)と,私のカーテンのそれはとても似ているように思う.失うことを寂しく思うのである.

 とは言え,さすがにカーテンとしては十二分に役割を果たしたし,リビングの結構な割合を占めるインテリアとして,威厳に欠けてきたため,別れを告げることにした.カーテンを取り付け,必ず感じるであろう違和感に多少怯えていたが,人間がそうであるのか私がそうであるのか,3日も経てば,我が家にさらっと馴染んでいった.

 ところで,私の部屋にも新しいカーテンが必要であった.小学生の頃カーテンを選びに行き,選んだものは,何を思ったのかアニマルの総柄というセンスのカケラもない物であった.中学生となり,さすがにこれは耐え得るものではない事を理解した.しかし,それなりに金額のかかった物であるし,簡単にこのカーテンが嫌であるとも言えない.
早々に別れを告げるには余りに冷酷である(カーテンに対しても母に対しても)と考え,しばらくの間目をつむることにした.
 10年ほど我慢をしたところで,やっと私はこのカーテンとの関係を絶つ決心をした.そう,リビングの藍色のカーテンを,私の部屋に引っ越させるという名案をひねり出したからである.誰ひとりとして傷つかない!!
 私の部屋の窓のサイズに裁断され,彼(カーテンは男性名詞な気がする)はやってきた.アニマルカーテンに別れを告げる.短期間に2回も別れを告げるなんて,,,結局これは1回とカウントされるのか?

 藍色のカーテンは場所を変え,ここに存在する.慣れ親しんだこの色は,私に安心感をもたらすものであると確信していた.当然である.何十年彼と一緒に過ごしたことか.きっと母が知らない事も,彼は知っている.
 
 朝,太陽の光が差し込み,私は目覚める.寝ぼけつつ目を開くと,まるで違う景色.強烈な違和感に襲われる.この10年間,1日の始まりに最初に目に入るものは,アニマル柄のカーテンである事を思い出した.実にダニーと同じ気持ちである.
しかしアニマルに戻す気など到底ない.本当に,かなり,めちゃくちゃに,柄がとんでもないんだから,,,

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