見出し画像

蕎麦と日本のロック

年末も近くなる頃、駅の(かつては立ち食いだった)蕎麦店に、
ウン十年ぶりに行った。
食券を買うところまでは同じだ。
注文した天ぷら蕎麦も間もなく出てきた。

高校生の時は、隣接する市の蕎麦店でアルバイトをしていた。
まさにあの時の厨房の香りである。

連れの人の分も持って行こうとしたら、カウンター内の年配女性が、
「床が滑るといけないから」
と、一つづつ持っていくよう勧めてくれた。
さりげない危機管理である。
こういう細かい配慮は経験のある方々でないと難しい。

さあいただこう、とスマホで天ぷら蕎麦の写真を撮った。

身も心も温まりたい

そうして初めて、店内を見渡した時である。
壁に向かって、黙々と蕎麦(またはうどん)をすする年配男性がいた。
食事の手を止めて、黙々とスマホを眺めている人もいた。

自分の天ぷら蕎麦に視線を戻した時、
急に申し訳ない気持ちが押し寄せてきた。

哀愁漂う後ろ姿

自分は確かに「会社」という組織にいて
(そこで十分に自分を発揮できたかは別として)
そこからドロップアウトした人間だ。
毎日誰かとの軋轢に悩むこともない。

だから日々、ストレスと向き合う会社員の
哀愁漂う背中を見ているうちに、
やっと一人になれた空間を、邪魔してはいけない、
自分が来るところではない、
そんな気持ちになってしまった。

それでも蕎麦は好きだ。
うどんよりもザラザラしたあの感じが
自分には合っている。

年越し蕎麦、というと、最近は
毎年暮れの30日、31日だけ直売する
製麺会社に行ってそばを購入する。

当たり前だがとにかく新しいので、
自分にとってはとにかく美味しい。
全国的に比べてどうかはよくわからないが、
「新鮮」は「美味しい」の大半を占める、
と自分は考える。

山芋が練り込んであるから、
おろした山芋や自然薯とよく絡む。
同じように売っている焼きそばもついつい買ってしまう。
こちらも新しいからおいしい。
野菜をたっぷり投入して、ウスターソースであえて完食した。

「新鮮」は正義

ところで、蕎麦で検索しているうちに、ある動画を見つけてしまった。
演奏が高度なのに、歌詞がとてもわかりやすい。
トシのせいで、もう愛だの恋だのは疲れるから、
歌詞はスンナリ入ってきた。
いつもはクラシック音楽を聴きながら仕事したり
運転しているので、久々のギターやドラムの音は
どうなるかと思ったが、なぜか心はこの曲を受け入れ、
驚いたことに、後日、スゥゥ、とスッキリしたのだ。

この、魂にガンガン響いてくる感じは、
日本の祭りとちょっと似ている。
演奏者がブンブン頭を振り回すのは
(首がちょっと心配だが)歌舞伎を思い出させる。

しかし自分は、この歌が全盛の時に、
存在を全く知らなかった。
おそらく洋楽ばかり聴いていたからだ。
巡り巡って、日本のロックに戻ってきた。
元々日本のヘビーメタルがお好きな方々にとっては
自分は単に非国民かもしれない。
こっそり聴いて楽しむことにする。

先日SNSで話題になった
「みかんのうた」
もこちらのグループである。
バーチャルな演奏風景と比較にならない。
今さらだけど、生演奏は職人技である。
「間違えちゃった」は許されない。
想像を絶する、ストイックな世界である。

こういう「知らなかった!」音楽を知ることが
できるのも、動画サイトのおかげである。
今の自分に合う「お宝」は
まだまだたくさんあるかもしれない。

年越し蕎麦の食感を思い出しながら、
日々忙殺されながら、そんなことを妄想している。
温故知新。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?