祭り屋

 二匹の犬が歌を歌っている、Odysseiaの8ページ目をずっと、繰り返しで、遠吠えで。
 昔話を昔の言葉で読む、古代ギリシヤ語。犬たちはきっと私より賢くてたくましい。私たちが知らない詩、私の知りたくない言葉、知らない二匹の犬も全部知らない。呼吸を忘れようとして、再び泣くことになるとしても。ページを捲るような舌の動きをずっと何日も眺めていよう。
 そのようにして、ボーボーの草むらの中に隠れるみたいにしゃがんだ。ふと思った。血をこぼす度胸がなかったとて、こんな私で生まれたくなかった、だって私、こんな、環境でこんな魂こんな、こんな信仰、神さま(痛い風が吹いてる)philoso 😴。、「、([...知りたくない」。 
 とりあえず犬のちいさすぎる頭をなでよう。こいつら、何を考えてるのか。

 上か横かをチャリが通る音、影が私たちの頭上を走った。二匹と私は身を潜めて町から消去されちゃったんかな。誰も知らない草むら、葉脈がいろんな方向を向いて収縮と膨張を繰り返しているのに、ちいさな虫がみえないところで無限に蠢いているのに、脳が溶けて、アンテナみたいに飛び出た妖精が、大地の電波を受信してんのに。草むらのことを知らない生物のことを人間というのなら、草むらのことを知ってしまったこの私は一体、何なのだろう。
 草むらの中はすこしだけあたたかく、影は明るかったと思う、スマホの充電は28パー、月に住んだらこんな感じか。胸の傷が疼いて、恩寵という地面に書いた文字が光っていた。

 泣いてしまうとき私は涙の奴隷みたいで、安心した。犬は泣かないんだっけ、泣けない、ではなく。星屑のきらめきはOdysseiaの詩みたい、きっと読んだこと、ないんだけど。いつか読む(かも)。
 まだ20歳のこども、キツネでいえば赤ちゃん。野原では生きていけない、大学がなかったら、私はどうなるんでしょうねきっと、宇宙の塵になっていまの150倍輝く。きっと私は卒業式で星になります、なれます。やっと、でも私がどんなに素敵な星になったとしても、人は星たちのおりなす光にしか興味がないんだろう。どの星がだれで、1番素敵な星が私だなんて想像もしないかも。だって輝きはシャインだから、眩しくって見づらいから。じゃあ目は見ない、をするための器官なのか、というと、そういうわけではないと思っている。つまり、目は「眩しぃ〜」をずっと見ていて、瞳の中で小さな顔がじっとこちらを見つめている。

そういうのが大事なんじゃないかな、なぁ、犬どもよ。(犬の目は少しだけ潤っていて、黒目の中に私の泣いた顔が一瞬反射して見えた)

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