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猫を飼う

猫を飼った。

社会人一年目。同性のパートナーとともに暮らし始めて一年目。

少々思い切りが必要だったが、周りの力も借りてなんとか生活している。


実家にはずっと犬がいた。だからわたしは犬が好きで、将来も犬を飼って暮らしたいと漠然と思っていた。

しかし、ふらりと訪れた店で目があった猫。

のそのそ動くところやご飯を食べるのがへたくそなところ、そして店員さんにどうとなれとでもいうように身を任せるところにシンパシーを感じた。

猫を飼ったことはなかったし、なにより命に責任を持つということは一筋縄ではいかないことだから、とても悩んだ。

毎週2回は店に通い、猫を見る。

そんな数か月を過ごし、やっと猫を受け入れる準備ができた。


そのようないきさつでパートナーと猫との3人暮らしがはじまったのだが、わたしには「この猫と暮らしたい」という理由とはほかに、誰にも伝えていない自分本位な猫を飼いたい理由があったと思う。


わたしは自分の家族がほしかった。

わたしの実家の家族はとても仲が良い。

母はわたしの自由を尊重してくれるし、父はなんだかんだわたしを心配し面倒をみてくれる。妹とは趣味や思考が合い、頻繁にやり取りをする仲だ。そして犬は常に可愛い。

傍から見れば幸せに見えるだろう。友達にもパートナーにもたくさんそう言われてきた。その点に関しては感謝しなければならないと思う。

しかし、そんな「完璧」な家族であるからこそ、わたしは自分が「完璧」から逸れてしまうのが怖かった。

具体的にはレズビアンであること。

具体的には一般的な方法で子どもをもうけられないこと。

今でこそ家族の理解は得られているが、ここまでわたしにとっても家族にとっても長い道のりであったし、知人の結婚や出産の話を耳にするたび胸がざわつく。

自分のセクシュアリティを受容したつもりになっている今でも、ジェンダーについて理論武装した今でも、やっぱり「完璧な家族」からはじき出されるのはこわい。

他人がどうとか、周囲の目が気になるとか、そういうことではない。

「完璧な家族」を作れない自分を批判的に見る自分の目がこわいのだ。

だから、猫を飼った。

子どもを持てないから、子どもとして。

制度上の婚姻ができないパートナーとのかすがいとして。

「完璧な家族」に近づくために。


すごく利己的だろう。猫にとってはたまらないかもしれない。やっていることとは裏腹に、内面は保守的で先進的な家族とは程遠いかもしれない。

でも、わからない。

どうすればよいのか。どうすれば自分の中の「完璧な家族」像と和解することができるのか。


猫に触れる。

猫がごろごろと喉を鳴らしながらおなかを見せてくれる。

パートナーと三人で川の字に眠る。

とりあえずいまは、そんな毎日をできるだけ積み重ねていくことしかできない。


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