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山手の家【第57話】


駅から家まで、いつもとは違う道を足早に突き進んだ。
いつも歩く緩やかな坂に比べて急な坂を早歩きしているので、息が上がってきた。
マンションが近づくにつれ、入居者用入り口の前にイヤホンを耳に挿してスマホのようなものを凝視している男が見えた。
白いワイシャツに黒色のズボン姿の見覚えのある姿。四角いビジネスリュックを背負ってる。
(この人、この前もいた人だ)
瑠璃は顔を隠すようにして男の横を小走りして通り抜けた。
ガラス扉の向こうで、男は微動だにせず、手元を見続けている。
エレベーターが7階に到着すると、瑠璃は足音を立てないようにそっと自分の家の玄関に近づいた。
カタンと音を立てて鍵が開いた。ゆっくりと扉を開ける。
荷物を用意したら、すぐに出かけなくてはならない。
また糸を張り直す手間を考えて、さっき自分が張った糸を引っ掛けないように、慎重に、大きく糸をまたいで家の中に入った。
廊下の明かりをつけずに奥に進んでいく。特に変わった様子はなさそうだ。
真の着替えを用意しようと寝室に立ち寄って、カーテンの隙間から外を覗いた。
お隣の坂田さんの店のひさしが明かりに照らされていた。
店のお客さんか、それともビルの他のテナントに用事がある人なのか、白いセダンがライトをつけたまま、店のひさしに屋根が少しかかるように停まっている。
視界の端で何かが動いたような気がして、窓の下の方を覗き込む。
マンションの隣にある駐車場の入り口に、黒いTシャツと黒いハーフパンツの男が腕を組んで、ゆっくりとした歩調でその場をぐるぐると旋回していた。
(あんまり外に出たくないな)
真の着替えを用意しようと窓から離れたその時、バッグに入れていたスマホが鈍く震え始めた。
優子からの電話だった。ボタンを押してスピーカーホンに切り替える。
「もしもし?」
「瑠璃ちゃん、急にごめん。あのね、今、警察から連絡があって」
瑠璃の鼓動が大きく跳ねるのとほぼ同時に、優子の声にノイズが重なった。
「お母さんが道で倒れてるのを見つけて、救急車を呼んでくれた人がいて。で、今、病院にいる、って」
「お義母さんは無事なの?」
「呼びかけに反応がないらしくて。で、うちのお父さんと兄貴に連絡とれなくて、それで……」
優子は気が動転しているようだった。
「優ちゃん、こんな時に申し訳ないんだけど、さっき真さんの会社の人から連絡入って、救急搬送されて病院にいるらしくて」
「えっ、兄貴も?」
間髪入れずに優子が悲鳴に似た声を上げた。
「この後、着替えとか持って真さんのところに行く予定なの」
瑠璃は真の下着が入った引き出しを開けて、目についた下着を鷲掴みした。
「そんなわけで、ごめん。真さんのところに行ったら、すぐにお義母さんの方に駆けつける」
「よりによってこんな時に。兄貴のやつめ」
「あと、お義父さんなら、昼間、お義母さんと一緒にうちに来たよ」
「え、えっ? お父さんとお母さんが、一緒に?」
「うちに信子さん宛の手紙が届いたんだけど、小川信子さん宛になってて、信子さんが小川に戻ったの、私たちもお義父さんも知らなくて」
優子はほんの少しの間黙っていたが、「私も知らない。何それ」と、絞り出すようにつぶやいた。
「お義父さん、うちに届いた信子さん宛の手紙を持って、『これから姉さんに会って話聞いてみる』って言ってた」
「じゃあ、信子さんに連絡したら何かわかるかも、ってことだね」
「お義父さん、どこにいるんだろう。無事ならいいんだけど」
お互いに進展があったら報告し合う約束をして電話を切った。
スマホを耳から離すと、暗くなった画面が再び明るくなって、メッセージの受信を知らせた。
真からだ。
<もう大丈夫だから、家に帰ります>
「ふぇっ?」
力が抜けて、声にならない声が漏れた。
<なんか、アナフィラキシーショックじゃないか? って言われた>
「どういうこと?」
瑠璃はメッセージに返信しようとして、文字を打とうとしかけた指を止めた。
昼間に真珠の主治医から体調不良の原因がアレルギーによるものではないか、と言われたことを思い出した。
(まさか、真さんも真珠も同じアレルギーとか?)
















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