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山手の家【第25話】

マンションの入り口で待っていた優子と合流して、リバーロードを少し下ったところにあるカフェに入った。
このカフェはランチ目当ての客でいつも長い行列ができるが、ランチタイムが終わる頃には行列も消えて比較的入りやすくなる。
ランチのオーダーストップ直前に店に滑り込んだからか、すぐに4人掛けのテーブル席に案内された。
イスの1つをよけてベビーカーを置くと、その隣に真が窮屈そうに座った。
「私がそこに座ろうか?」
「僕、ここがいい。真珠、男同士、仲良くしような」
真が顔を覗き込むと、真珠はきゃっきゃと無邪気な笑い声を上げた。
親子3人で食事に出掛けても、真はすすんで真珠の隣に座ることが多い。
瑠璃は、優子と並んでテーブルの向かいのソファに座った。
「優ちゃん、こっちスペースあるよ。荷物置く?」
「ううん。大丈夫」
優子は置き場に悩んで膝の上に乗せたバッグを脇に置き、テーブルに置いた紙袋を足元の床の上に置いた。
瑠璃には、誰が踏んだかもわからない床の上に荷物を置くという発想が無いので、優子が店だろうと電車の中だろうと、ためらいもなく荷物を床に置くことに少し抵抗がある。
(私が潔癖すぎるのかな)
瑠璃は優子の紙袋から目を離した。
メニューブックはちょっとした冊子くらいの厚さがあった。
数え切れないほどたくさんのオムライスのラインナップと、負けず劣らずバリエーション豊かなチーズケーキの数々が何ページにもわたって紹介されている。
3人とも迷った挙句、瑠璃は抹茶オレとベイクドチーズケーキ、真はブレンドコーヒーとゴルゴンゾーラのチーズケーキ、そして優子はタンシチューのオムライスとアイスティーを頼んだ。
「お食事ですが、少しお時間をいただきます」
手元の注文票を見たまま店員はそう言うと、離れていった。
「休日出勤なのに昼飯も食えないのか」
「今日はお昼で上がる予定だったんだけど、ちょっと手こずって」
優子はあくびを片手で隠した。あくびは隠れても、目の下のクマまでは隠れなかった。
「優ちゃん、かなりお疲れじゃない?」
「そう言われてみれば、顔色悪いぞ。大丈夫か?」
「いや、ゆうべ、寝ようかなって思ってたところに信子さんから連絡があって」
優子が気だるそうに首をぐるりと回した。
信子の名前を聞いて、瑠璃は身構えた。
「先週、兄ちゃんたち、遊びに行ったんだよね?」
「そうだよ」
(え、先週の話を今さら? 眠いのに聞かされた優ちゃんがかわいそう)
瑠璃は目を伏せて、細く息を吐いた。
「兄ちゃんたちが帰ったその日の夜中に、信子さん、寝てたら枕で殴られたらしいのね。うちのお母さんに」
瑠璃の頭の中で「嘘でしょ?」と、「なんで?」がこだました。
真は微動だにせず、優子の次の言葉を待っているようだった。
「で、それ以来、起きてリビングに下りていくと、お母さんにすごい剣幕で部屋に追い返されて、食事も洗濯もままならないらしいのね」
信子が幸代にすごい剣幕で迫るならまだしも、幸代が信子に、というのは瑠璃には想像がつかなかった。
カメムシの件で幸代の激しい一面を垣間見たけれど、それ以外に幸代が感情を昂らせた瞬間を見たことがなかったからだ。
「で、私、来月の10日から出張で宮古島に2週間行くんだけど、マロの世話ついでに、信子さんに部屋を使ってもらおうかと思ってて」
(私だったら、いくら大好きなおばさんでも無理……)
瑠璃には、優子と信子が実際のところ、どれほど親しい関係なのかはわからなかったが、猫の世話をお願いするだけではなく、留守にしている家を使わせるというのが信じられなかった。
「そんなことになってるとは思わなかったな」
「あとね、前に信子さん、お母さんから『うちの可愛い孫に近づかないでください』って言われたらしくてね。それで、真珠の顔見たくても遠慮してたらしいよ」
「可愛い孫だって。君のことだよー」
真が真珠の頬に指先で軽く触れた。
「信子さん、『まさか私よりひと回り年下の幸代さんがこんなことになるなんて……』だって」
「母さん、心配だな」
先ほど注文をとりにきた店員が飲み物の乗ったトレイを運んできた。
瑠璃たちは話を中断して、店員に協力して手際よくドリンクを受け取った。
「ゴルゴンゾーラのチーズケーキは……」
真は「はい」と、手を上げた。
「お好みでこちらのハチミツをお使いください」
小さな、蓋のついた白い入れ物がテーブルの真ん中に置かれた。
「お食事は間も無くお持ちします。ごゆっくりどうぞ」
「おぉ、うまそう」
さっそく、真はハチミツをケーキに垂らした。
店員が再び下がったのを見計らって、優子がアイスティーにストローを差しながら口を開いた。
「2人を引き離さないと、お互いにメンタルやられそうじゃない?」
「いや、2人だけじゃなくて、父さんもきついと思うよ」
「確かに、そうかもしれない」
瑠璃も大きく頷いた。
「そうなんだよね。お父さんも2人の間に立たされて、だいぶ疲れてるみたいだからさ」
「最近、お義父さんもちょっと、物忘れがあるっていうか。認知症の初期みたいな感じがチラチラあるのが気になってて」
「そう考えると、あの家で1番元気なのって、信子さんだよな」
「うん。最年長の信子さんが1番しっかりしてる」
真と優子は顔を見合わせて頷いている。
「そうかな?」
瑠璃のひと言に優子が反射的に首をひねった。
「信子さんと接してると、結構『あれ?』って、思うところあるよ」
「異議あり、ですって」
「瑠璃さん、また言ってる」
真の声はブレンドコーヒーのカップに遮られて、最後まではっきりとは聞こえなかった。
「や、うちの父と母に比べたら、だいぶしっかりしてるよ?」
優子が笑いかけてきた。
(比べたらそうかもしれないけど、信子さんもだいぶ怪しいってば)
瑠璃は、自分に出されたお茶を信子が飲んだことや、入らないでと念押しした部屋に信子が何食わぬ顔で入ってきたことを思い出していた。
真はバカにするように笑いながら瑠璃を指差した。
「こないだも言ってたんだから。『お金に困ってる人がブランド品をプレゼントするのか?』だって。全く、信子さんのこと、疑いすぎだよ」
「あの伯母さん、見栄っ張りだからねー、仕方ないっ」
優子がおどけても、瑠璃の疑念は晴れそうになかった。
瑠璃は頬杖をついて、ケーキの皿のふちをぼんやり眺めた。
店員が大きな皿の乗ったトレイを運んできた。
「タンシチューのオムライスをご注文の方」
優子が小さく手を上げた。
優子は目の前に出されたタンシチューのオムライスを真上から覗き込んで「デカっ」と、のけぞった。
「まぁ、食べなよ。何も食べてなかったんだろ?」
優子は顔を上げ、伝票をテーブルに置こうとしている店員に向かって「あの、取り皿2枚もらえますか?」と、しおらしく伝えた。


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