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山手の家【第10話】

真よりも先に瑠璃が「こんばんは」と呼びかけると、優子は「あれ? 瑠璃ちゃん?」と、声をうわずらせた。
真は、スピーカーホンでしゃべっていることを優子に端的に伝えると、すぐに本題に入った。
「今日、親父と母さんに会ったんだけど、母さんの物忘れが進んでるみたいで」
優子は驚きもせずに「やっぱり」と答えると、「信子さんからお母さんの話をたびたび聞いてて」と、続けた。
真が姿勢を正した。
「信子さんが、何だって?」
「お母さんと言い争いになったとか、腐った豆腐の味噌汁が出てきて2人が平気な顔して飲んでるとか」
瑠璃は思わず口元を手で覆った。
(冷蔵庫の中、ちゃんと見てない)
思い返せば、汚れたままのホットプレートが出てきた時点で、幸代の管理能力を疑うべきだったのかもしれない。
「今日、僕らの目の前であの2人、険悪になってさ」
真が食いついたのは、幸代と信子さんとの関係の方だった。
「まぁ、それも母さんはすぐに忘れちゃうから、なんとかその場は収まったんだけど」
「今のお母さんなら、ありえる話だわ」
(お義母さんと信子さん、しょっちゅうケンカしてるのかしら)
瑠璃がぼんやり考えていると、優子が何かを思い出したのか、「そうそう」と、切り出した。
「あなたたち、信子さんがあの家で同居するの、反対したじゃない?」
「あぁ、したよ」
瑠璃も「うん」と、つられるように返事した。
「だから信子さん、兄ちゃんには話していないんだろうけど、信子さんがあの家に引っ越して1ヶ月も経たないうちに、お母さんと揉めてるのね」
瑠璃が「えっ?」と、目を見開く間に、真が「引っ越して1ヶ月も経たないうちって、もう半年前の話じゃないか」と、反射的に返した。
「それは初耳だね」
瑠璃の言葉に真は口を半開きにしたまま頷いた。
幸代が信子に対してどこかよそよそしい態度だったり、あの家に遊びに行くたびに信子が外出していたり、「何かおかしいな」とは感じていた。
けれど、そんな半年も前に問題が起きていたとは気づきもしなかった。
「信子さん、『まこちゃんたちの言う通りだったわ。言うこと聞いておけば良かった』って言ってたから、だから、兄ちゃんには相談しづらかったんだと思う」
(もしも自分が信子さんの立場だったら、さっさと出ていってるだろうな)
実の弟と揉めるのも居心地悪いだろうが、弟のお嫁さんと揉めてまで一緒に住みたいとは思えない。
そう思うだけに、瑠璃にはいまいち、信子の考えていることがわからなかった。
「あの、信子さんはこのまま同居を続けるつもりなのか、とか何か聞いてる?」
「うーんとね、『他に行くところがないから我慢する』って感じかな」
「それで半年も我慢をしてるわけ?」
瑠璃は『我慢』という単語を口にした後で、今日の信子の態度は我慢している人の態度だろうかと疑問を感じた。
「2人だけじゃなくて、親父にとっても、精神的に同居を続けるのはあんまり良くないと思うんだけどな」
真が腕を組みながら難しい顔をした。
沈黙が訪れた。


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