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山手の家【第60話】アフターエンド=プロローグ


救急車で運ばれた先の病院で、ひと通りの検査と、足のかすり傷の処置、目の洗浄をしてもらうと、もう空が白み始めていた。
搬送される直前からずっと、真がそばについて離れようとしなかった。
「入院するほどではないので帰って大丈夫ですよ。ただ、怪我の様子とか、体調の急変がないかとか、様子見させてもらいたいので、1週間後にまた来てください」
真が、心の底からホッとしたように「ありがとうございました。良かったね」と、瑠璃の背中をさすった。
タイミングが悪かったら、もっと大変なことになっていたと思うと、体の芯から震え上がりそうになった。
「ありがとうございます」
瑠璃はぎこちなく立ち上がった。こうして自分の足で立っていること、真がそばにいることが奇跡のように思えた。
診察室を出ると、白いワイシャツに黒いスラックスの男性4人組に声をかけられた。
「小川さんですね。警察の者です。お疲れのところ申し訳ないのですが、少しだけ、お2人別々にお話をお聞きしたいのですが」
「わかりました。じゃあ……」
真は「また後でね」と、付け足して、瑠璃の肩を軽く叩いた。
警察官が2組に分かれる。
「じゃあ、奥さんは怪我もありますし、こちらで」
瑠璃は診察室の入り口脇に置かれた椅子に座るよう促された。
1人の警察官が隣の椅子に腰掛け、もう1人の警察官は瑠璃の横に立った。
隣に座った警察官が「内田と言います」と、名乗った。
内田の顔を見て「あれ?」と、瑠璃は首を傾げた。
最近、夜にマンションの前で何度か見かけた、あのサラリーマン風の男に似ている。
「あの、うちのマンションに何度か来ていませんでした?」
内田が「えっ」と、驚きの声をあげた。
「あのマンション、しょっちゅう通報があったり、短期間に不審死が続いたり、ネット上の書き込みで『盗聴電波が出てるマンション』っていうので話題になっていたりしたものですから」
その話の流れで盗聴器の話題になった。
内田たちは記録を確認したのか、瑠璃の家から盗聴器が見つかったことをすでに知っていた。
事情聴取は瑠璃の体調に配慮して、ごく短く、簡単な質問だけで終わった。
「今日のところはゆっくり休んでいただいて、後日改めてお話をうかがわせて下さい」
内田が立ち上がると、真と真の事情聴取を担当した警察官2人がこちらに向かってくるのが見えた。
合流すると、内田が真に「奥さんにも話しましたが、また改めてお話をうかがわせて下さい」と、一礼した。
真が「わかりました」と、頭を下げると、内田以外の警察官たちもお辞儀をして、連れ立って去っていった。
「お疲れ」
さっき内田が座っていた椅子に、真が腰掛けた。
「お疲れ様」
小さくなっていく警察官の背中を瑠璃はぼんやり見ていた。
(それにしても、とんでもないことになったな)
瑠璃は大きく伸びをした。
「そういえば。私のこと、初めて呼び捨てで呼んだね」
「ごめん。悠長に、さん付けしてる場合じゃなかったから」
「うれしかったな」
真は驚いたのか、「そうなの?」と、弾かれたように瑠璃を見た。
「うん。やっと、家族になれたような気がしてる」
真が照れたように笑って立ち上がった。
瑠璃も立ち上がった。
「真さん、真珠に会いに行こう」
「真珠のところには親父がいるから、先に母さんのところに顔出さないか?」
「え?」
「母さんも、ここに運ばれてたんだよ」
「じゃあ、お母さんに…… あ、優ちゃんいるかなぁ」
「多分、いるんじゃないか?」
真はポケットから取り出したスマホに何かを打ち込み始めた。
「ねぇ、お義父さんはどうして真珠のところに?」
「ん? 信子さんに、『真珠がどうなってもいいのか』って、脅されたんだってさ」
「もう、なんなの、あのオバサン……」
自分勝手な信子につける薬はないな、と、瑠璃は溜め息をついた。
メッセージを送り終えたのか、真がスマホをポケットに戻して、瑠璃の手を取った。
ゆっくりと歩き出す。
「ま、家に帰ったらゆっくり話そう」
「家って、あの家?」
「そうだよ。僕らの帰る家はあそこしかないよ」
「いやだなー」
「管理組合も一新されるだろうから大丈夫だよ」
「それもそうだけど、土足で上がられたから掃除しないと」
「そうだね。がんばれー」
「もう、他人事だと思って。ちょっとくらい、いたわってよ」
瑠璃は駄々こねをする子供のように、真とつないでいる手を揺すった。
新しい1日が始まろうとしていた。

(了)

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