見出し画像

山手の家【第42話】

当初2・3日と言われた真珠の入院生活は、5日目を迎えた。
真珠が入院してから、瑠璃は午前中に家事や用事を片付け、午後の早い時間にはモノレールに乗って面会に行くという日々を過ごしていた。
入院初日にはぐったりとした様子だった真珠は、一昨日に熱が収まり、昨日ようやく点滴が外れた。
日に日に回復して真珠に笑顔が戻ったことに安堵する一方で、何が原因なのかわからないとはいえ、真珠に大変な思いをさせてしまったことを瑠璃は申し訳なく思っていた。
医師の説明によると、入院当日から比較すると血液の炎症反応は落ち着いているらしい。
もう1日点滴なしで過ごしてみて、特に問題がなければ明日、土曜日に退院で良いだろうと言われている。
明日は真珠の1歳の誕生日だ。明日にはどうしても退院させてやりたかった。
(あれを試さないと)
瑠璃は、自分の下着が詰まった引き出しから、小さな黒い箱を取り出した。
昨日、面会に出かける直前に届いた、盗聴器発見器が箱の中に入っている。
使い方は、実際に同じ発見器を使ってみた人の動画を何本も見て、予習済みだった。
盗聴器など電波を発するものがあれば警告音が鳴って、電波の強さを示す針が赤のところを指す仕組みになっている。
ネットで見ている限りでは重厚な印象があったのだが、実際に手に持ってみると意外と軽い。
(おもちゃみたいだな)
瑠璃は「よし」と、ダイヤルを回して電源をONに切り替えた。
いきなり、針が赤いゾーンの端まで振り切れて、ピーっと甲高い警告音が鳴り響いた。
思わず「わっ」と、声が出て、心臓が早鐘を打つ。
(ど、どういうこと?)
動画をいくつか見てはいたが、電源を入れた途端に警告音が鳴るなんて動画では全くなかった。
(とにかく、この部屋には何かあるのかもしれないのはわかったぞ。場所の特定は後で、と)
瑠璃は警告音が鳴り続ける発見器を持って玄関に向かって走った。廊下を進むごとに警告音がプッ・プッと短くなっていき、電波の強さを知らせる針も赤のゾーンから黄色のゾーン、黄色のゾーンから緑のゾーンへと移動していく。
外から、バシャーンともガターンとも聞こえる音が聞こえた。きっと、どこかの部屋の人が出入りしたのだろう。
瑠璃は玄関のすぐ脇の部屋に入って、部屋の隅々に発見器のアンテナを向けてみたが、短い警告音が規則正しく鳴っているだけで、特に問題はないようだった。
続いて、隣にある寝室、向かいのトイレ、洗面所と風呂場、と各部屋を回ったが、どこも疑わしい反応はなかった。
(さて、問題はリビングか)
リビングの扉を開けて、1歩踏み出した途端、再び警告音が鳴り響いた。
瑠璃は顔を歪めた。
(うっるさぁー。この音、どうにかならないのかな)
瑠璃は警告音が鳴り続ける発見器を持って、キッチンとリビングをぐるぐると歩き回った。
警告音も電波の強さを示す針も、キッチンとリビングではずっと強い反応を示し続けたままで、弱まる場所を見つけられない。
上の部屋か隣の部屋なのかはかわからないが、何か重たいものが床の上に落ちたような鈍い音と振動が伝わってきた。
瑠璃は慌てて発見器のツマミを回して電源を落とした。
(どこに発見器があるのか、こんなのでわかるのかしら)
大きく深呼吸して、テーブルの上に置いていたコップの水を飲む。
時計が12時を知らせようとしていた。
(そろそろ出かけなくちゃ)
瑠璃は発見器を黒い箱に戻し、再び下着を入れている引き出しの奥に戻した。
洗剤をつけたスポンジでコップを軽くこすり、泡を水で流していると、排水溝から「ぬぉーっ」と、バケモノの叫び声みたいな音が聞こえた。
(また、あの薬剤流さないとダメかな)
真が買ってくれた排水溝のヌメリに効くという薬剤は、あらかじめバケツに薬の粉末と規定量の水を混ぜて液体の薬剤を作る必要があって面倒臭い。
しかも、『必ずプラスチックの手袋をはめて作業をしてください』と、太文字で注意書きがされていて、さらに面倒臭さをアップさせていた。
でも、面倒臭さのかいがあってか、バケモノの叫び声みたいな音はするものの、一応、排水は流れるようになった。
エレベーターで1階に降りると、マンションのガラスの扉越しに、通りの向こう側に人だかりができているのが見えた。
ちょうど、もらい火で営業停止になったケーキ屋の角に女性3人と、縦にも横にも体格のいい男性が2人、みんな店のシャッターの方を向いて立っている。
(ケーキ屋さんの関係者かしら)
瑠璃が外に出ようとガラス扉に近づくと、扉がスライドするのとほぼ同時に、黒いTシャツに黒いハーフパンツを着た男性が振り返った。
男性は鋭い目つきで瑠璃の挙動を観察しているようだった。
一瞬だけ男と目が合う。
瑠璃は軽く会釈をして、男性の視線から逃れるようにその場からすぐに離れ、通る予定のなかった細い道に入った。



翌日、瑠璃と真は退院したばかりの真珠を車に乗せて、ベイエリアの義人と幸代の家に向かった。
「お邪魔します」
玄関先で瑠璃が挨拶すると、義人と幸代がリビングの方から早足で駆けつけた。
「真珠くんが退院しましたよー」
真は真珠を抱っこしたまま靴を脱ぎ、家に上がった。
「おぉ、真珠。元気になったか?」
「大変だったわねぇ」
義人も幸代も真珠を囲んで、ほっとしたような笑顔を浮かべた。
「真珠の誕生日だから、どこかにご飯食べに行こうかと思ってたけど、退院したばかりだし、今日はのんびりしようかな、って」
「そうか、誕生日か」
「もう1歳なの? 早いわぁ」
みんなが連れ立ってリビングに向かうのを見届けて、瑠璃は荷物を床に置いて靴を脱いだ。
鍵がたくさん吊るされている棚に目をやる。
(鍵が、戻ってる)
3本の鍵を束ねた、あのゴールドのキーホルダーが棚の端にあった。
















この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?