『休む』#135

動詞をテーマに選んだときに毎回思うのは「どう単語としてアプローチしたらよいかなどうしようかな」ということ。ある名詞、ある物事に対してであればそれそのものに関する内容を記したらよいものだが、動詞って何かしらの目的語や補語、あるいは主語を設定してやっと動詞自体の目的・機能を示していくものだから、なんというか、目印のないスカイダイビング、あるいは太平洋のど真ん中に放り込まれて「好きにしていいよ」と言われるような感じ。それだからか、動詞を扱ったこれまでの記事数は少ない(さすがに、助詞よりは多い。助詞はこれまでで2回だったかと思う、記憶ですら数えられる)。
睡眠については以前に書いているけれど、集合のベン図を書いてみるとして重なる部分は大いにありながら、円の大きさが地球と木星くらい違うんじゃないかな、睡眠の地球と、休む木星。
部活にしても勉強にしても、休憩ってなんかうまく休憩にすることができなかった、昔。中学生いっぱいはまず休憩を必要としなかったし、高校に上がってからもあまり、身体の疲労で夜は眠るぞと意識しなくても睡眠にズドンと落ちたりはしたから身体的には休みを求めていたと思うが意識的に「休みたい」と思うことがなかった。それでもまぁ特に、小中が顕著だったか。なぜか。
心的疲労がなかったからに他ならず、また、身体的疲労は若さゆえの快感に昇華されていたために、休みたい気持ちにならなかった。先の『暖炉』の記事で触れたけれど、心像のないものはわかりようがない、ということを引用すれば、休みたいと思ったことがないから休みたいと思うことがない、というような今から考えれば恐ろしい心象。
特に中学生の頃は授業においても、日常生活においても、ほとんどのストレスがなかった。ある意味、「何をどうしたらいいかわからない」ことがなくて全能な感じだったんだと思う。部活の長距離走についても、記録は苦しい練習を経て、弱いところ、スプリント力かフォームかペース感なのか把握してトレーニングをすればわかりやすく伸びる。チームスポーツや複雑さをもったスポーツだったら別だっただろうが、シンプルに身体能力の向上を図るスポーツだったので「記録がなかなか伸びない」ことへのストレス以外は、特に強い精神負荷はない。日常生活、青春的なものについても発露がなくて思い悩むこともあまりなかったから、もうほんと幼いひよこのようなまま3年間を過ごして、目の前にあるものだけに接していたため外的なストレスもなかった。保健体育の座学で「ストレスを与える要因をストレッサーと呼ぶ」と教わっても「へぇ」と知識として捉えるだけで「あぁあれがそうだったのか」と経験や記憶心像に結びつくことはなく「加害者」という単語と結びつけて覚えたんじゃないかなたぶん。
疲労なくして休みなし。休むというのは緊張や疲労と相補関係にあるもので、必要がなければ出番がない。ただ、なんの緊張もない仕事や行動においては「休んでいるのか活動しているのかすらわからない」ということさえある。部活の休憩時間だったり授業の休み時間がそうだったんだけど、すべてが連続したままだった。数学の授業が終わって英語の授業が始まるまでの休み時間に数学の練習問題を解いていたり英語の教科書をペラペラと読んでいたりすることは休みでも活動でもないような連続した時間としてあって、それは友達とぺちゃくちゃしゃべったり机の間を駆け回ったりしていることとも変わりなかった。
いまのわたしがその連続した休みとも活動ともない時間を継続できるかと言えば、あまり自信がなくて、「意識的集中イン」と「無意識的集中イン」の二つがあることを知って「集中が切れる」ことを知覚できるようになって、長距離走のインターバルをジョグで繋いでずうっと走り続ける自信がないこととして、言い表わせるか。
徹夜とガス欠を知った大人の夜中2時は、こたえる。パソコンのキーボードだと早く長く書ける、これは確かでありがたい。

#休む #180502

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