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怒りへ「そっかー」
怒りをぶちまける人に、怖いなぁと思うことはちょくちょくあります。
最近だと推しキャラが雑に扱われてる!!!みたいな声を見て、正にこわっと思ったりして。
でも怒る人には、怒る理由があるんですよね。
怒りを鎮めてやろうは傲慢
「怒る人には怒る理由がある」とより納得がいったのは、今読んでいる本がきっかけで。
怒りとは何ぞや、に軽く触れられていたんですね。
たとえば、何か自分や仲間が脅かされるであるとか、ぞんざいに扱われたと感じると、恐怖と危機を司る扁桃体が発火するようにできています。これによって、人間は自分自身を守るために、「怒り」を発生させ、相手に対する攻撃と防御を無意識に起こそうとします。
つまりその人が大事だと思っているから怒る、ってことですが。
そんな怒りに部外者は「そっかー」や「そうなんだー」と言うしかないんですよね。
怒りを鎮めてやろう、と思うのは傲慢です。
目先を変えることはできるかもしれませんが、それも相手との関係値によっちゃいますからねぇ。
説教ができるなんて、考えない方が良いのでしょう。
怒りの裏は期待
言うて自分自身、怒ることはよくあって。
PCが遅い時とかスマホと別の機器の連携が上手くいかない時とか、機械関連は割と多いです。
これ、期待なんですよね。
機械に思うように動いてくれー、っていう。
怒りの裏は何かへの期待です。
意識しているかはさておきですけど。
さっきの「大事なものが脅かされて怒る」の時って、自分の「大事」を他の人にも大事にしてほしい時で。
そういう期待をしているってことです。
なら怒らないためには期待をしなければ良い—
とそう単純な話でもないんですよね。
期待はしちゃうものだから。
むしろ自分の期待と実際に起きることは並立する、と思える方が穏やかかもしれません。
並立すると言うか、別の世界と言うか。
自分自身この発想を馴染ませたいなぁとは思っています。
怒る人に怒ることも、まああるので。
「そっかー」「そうなんだー」って言葉だけ取り出すとドライにも見えますが。
逆に相手のことを尊重しているとも言えます。
お節介はほどほどに、ってことですね。
読んでくださりありがとうございました。
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