見出し画像

パッションの向け先を決められたい人

パッションを向ける先がわからない時。
それは誰かに決められるのを待っているのかもしれませんね。
自分で決めることに、抵抗があるか何かで。

渡り鳥の不完全燃焼感

今ここに、1人のエンジニアがいます。
まあ私なんですが。

渡り鳥のように色んな現場のお手伝いをしている訳ですが、どこか不完全燃焼な感じはあったりして。

その反動なのか何なのか、1社に尽くしたい的な憧れもあるんですよね。
「忠義」の美化し過ぎ、はそうかも。

忠義=従う

忠義って主君に従うことじゃないですか。
現代人が忠義に憧れるのって、よくよく考えたら不思議なことで。
ひょっとしたら、誰かに従うのが自分だーと思っているのかもしれません。

家族のパワーが強くて、自分で決める意味が薄いと思ったのか。
主張をするよりも素直に聞く方が丸いと思ったのか。
自分の話を深掘りはしませんが、「真面目ないい子」がパッションを見失ってくすぶる、は色んなところでありそうだよなぁと思っています。

自分で決められないから誰かに決めてほしい的な。

究極的にはパッションの注ぎ先って、与えられるのを待っても良いし待たずに自分で決めても良いんだと思います。

楽しくなれるのは、断然自分で決める方ですけどね。
自分で決めるをやってみての感想です。

読んでくださりありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?