感性のはなし

人の感性って100人いたら100通りあるわけで、あたりまえのことやけどその意味について深く考えることってなくてだから何って話。けど、深く考えてみると100通りの感性が存在するってことは、その人にしかない感じ方、考え方っていうものがあることに気づいて、たぶんその事実って自分にとっての100パターンもの新しい発想のタネになったりする。

ただ、それは他人の感性ってものに触れたときに起こりうるもので、たぶん今の世の中でそういう機会って少ない。もっと感じたことを素直に発信できる社会になればいいのにって思う。そのためには多様性を重要視するのが必要でなぜ多様な価値観を受け入れることが大切なのか謳われている意味に気づくし、気づける人間でいたいって思う。

ある人から見たら普通じゃないってことも、その人からみたらそれが普通で、これが起きることは生物学上必然なわけで、けど一定の普通ってカテゴリに当てはめようと自然としてしまうのが現代人。

なにが正解でなにが不正解なのかはわからないけど、それすらも人によって異なりうるものであるということに気づくことは人の生き方を大きく左右するんだろうな。そもそも生き方に正解なんてないと思うし。

感性っていうものがあたりまえにたくさん存在している事実についてその意味をもっともっと深く考えてみようと思う。


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