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『まつもtoなかい』の赤西仁出演に思うこと〜覇道こそ今の世の中には必要だが、その為には王道がしっかりしないと成り立たない〜

『まつもtoなかい』に赤西仁が出演したことが話題となって、どうやら今KAT-TUNが再び注目を浴びているらしい。
KAT-TUNといえば、2006年にデビューしたロックバンド系のジャニーズグループだが、あれは典型的な「初速は凄いが数年持たずに失速した一発屋」であり「嵐と並ぶ良きライバル」にはなり得なかった。
本当に「Real Face」を出した時の勢いは嵐を食っていて「いよいよ嵐も終わりか」なんて言われていた、なにせ嵐よりも先に東京ドーム公演を実現していたし、何より6人揃った時のオーラが凄まじい。
YouTuberでいうなら正にヒカル・ラファエル・シバター・禁断ボーイズ・へきトラ・てんちむ・レペゼン辺りのようなVAZ勢であり、いわゆる品行方正な王道路線とは全く違うものである。

しかし蓋を開けてみれば、2007年には嵐が『花より男子2』の大ヒットとともに東京ドーム公演を開催、嵐の宿題くんというレギュラー番組も始まり「山田太郎ものがたり」も大ヒットを記録した。
とはいえまだまだ勢としてはKAT-TUNの方があったが、グループとしての安定感は10年近くかけてコツコツと積み上げて来た嵐の方が圧倒的にあり、それが2008年からいよいよ逆転していく。
2008年からの嵐の活躍は目覚ましく、大野智の個展とドラマ「魔王」と主題歌「truth」のヒットに「花より男子ファイナル」の「ONE LOEVE」、更にはドリカム・SMAPに続く国立ライブにVS嵐も開始した。
そして2009年にはグループ結成10年目にして初の紅白歌合戦出場に各メンバーもとにかくいろんなドラマ・バラエティに引っ張りだことなってついに「ポストSMAP」として嵐が台頭して来たのである。

そんな王道路線の栄光の影でKAT-TUNは初速の勢いをどんどん失っていき、2010年に赤西、2013年に田中、2016年に田口が脱退と共に存在自体が風前の灯火となってしまった
特にSMAPの木村拓哉や嵐の松本潤に匹敵するスーパースターにして絶対的エースであった赤西仁が退所してしまったのは相当な痛手であり、それが今尚3人になったKAT-TUNに影を落としている。
そんな彼が本当に13年ぶりにテレビに出たこの時に誰しもが思った筈である、「もしKAT-TUNというグループがあの勢いをそのまま維持して存続していたら……」というパラレルワールドを。
実際ポテンシャルだけでいえばSMAPや嵐に匹敵するものはあったと思うし、嵐さえも脅威には感じていたくらいだから頑張り続けていれば嵐とよきライバルになれたのではなかろうか。

しかしそんな現実はやってこない、結局のところ着実に続けてきた嵐が次世代の国民的スターに君臨して2010年代まではSMAPとの二強路線となっていった。
そしてNEWSやKAT-TUNも規模縮小した結果、後輩のHey!Say!JUMPも他の後輩グループも軒並み嵐のエピゴーネンになってしまい、なにわ男子も王道系アイドルで売っている。
これらの現象はYouTuberも同じであり、結局のところしぶとく生き残って引っ張っているのはUUUMの初期から継続して来たHIKAKIN・はじめしゃちょー・フィッシャーズ辺りであろう。
その王道路線がずっと続いていく一方でKAT-TUNのような覇道路線をやっていたVAZ勢は軒並み失速あるいは消滅していき、結局のところヒカル一強になってしまったではないか。

そのヒカルですらチャンネル登録者数はHIKAKIN・はじめしゃちょーらを超えていないわけだし、そのヒカルと対等のステージでやれているのは令和の虎の社長たちくらいであろう。
今のところYouTubeを牽引しているのはその辺りであり、ヒカルも路線をエンタメ系からビジネス系にシフトチェンジして社長たちを宣伝・ブランディングしていくことで成長させている。
次のYouTubeに来るのは間違いなくこの覇道路線だが、覇道はどれだけ必死に頑張ったところで長い目で見た時に王道を超えることが出来ないということは歴史が証明しているではないか。
アニメ界の覇道路線でも息長く残っているのは精々ガンダムシリーズくらいだし、そのガンダムシリーズですら「水星の魔女」が批判されてどんどん落ち目になって来ている。

それこそ松本潤主演の大河ドラマ『どうする家康』でも次の言葉が出て来ていた。

「徳をもって治めるが王道、武をもって治めるが覇道。覇道は王道に及ばぬもの!」

作品の評価や色分けの時に使われる「王道」「覇道」「邪道」といった言葉・概念は元々政治から生まれた言葉であり、あくまでも「王道」が絶対的中心だと見なされている。
それが芸能界やYouTuberなどにも用いられているわけだが、長い歴史を見ていくとやはり王道以外のやり方で国が栄え長続きした試しは一度もない
武力や恐怖政治などによる正当ではない人心掌握や政治では一時的な勢いを保つことはできたとしても長い目で見た時に間違いなく失脚するのだ。
私が王道を好きなのも決して幼少期にそういう作品を原体験として育っただけではなく、王道こそが地道ではありながら結局は最強にして至高だからである。

しかし、王道が真に王道たり得るにはやはり覇道・邪道も必要だし、逆に覇道・邪道との対比があるからこそ王道が王道として輝くことが出来るという、まさに光と闇の関係だ。
今は確かに激動期ということもあって王道よりも覇道が持て囃される時代になっている、近年のヒット作である『鬼滅の刃』『呪術廻戦』『推しの子』『葬送のフリーレン』は例外なくそうである。
これらの作品は結局のところ「王道の皮を被った覇道・邪道」であり、王道っぽいやり方で覇道・邪道路線をやっているというとんでもない捻くれた作品ばかりだ。
まあそれも仕方あるまい、何故ならば少年漫画において『ドラゴンボール』『ONE PIECE』の二強を超える王道は生まれていないし、どれだけ後輩が数字で超えたとてこの2作の偉業は超えられない

それは正に芸能界でいえばどんなアイドルも結局はSMAP・嵐の偉業を超えられないし、YouTuberでいえばHIKAKIN・はじめしゃちょー・フィッシャーズの偉業を誰も超えられないのと似たようなものだ。
ヒカルと令和の虎の連中が活躍できているのもあくまでUUUMの王道系YouTuberが中心に構えていてくれるからこそであり、覇道・邪道は王道なきところに単独で成立し得ないのである。
そう思うとまだ本当の意味での「令和の王道」が出て来ていないことを何とも嘆かわしいのだが、逆にいえば政治も教育もエンタメもあらゆるものが今「徳」を失っているのかもしれない。
今こそ「王道」とは何か?「覇道」「邪道」とは何か?を原点に立ち返って言葉の定義から見直す段階に来ているのではないかと思う。


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