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プランス戦と不二戦で見えてきた「新テニ」における越前リョーマの限界と課題

「新テニスの王子様」では旧作と違って越前リョーマや手塚国光の試合はそんなに多くないのですが、それにしても許斐先生が越前リョーマをどう持って行きたいのかが気になります。
亜久津の無没識や金太郎の天衣無縫、幸村の零感のテニス、手塚の至高のゾーン(アルティメット)、不二の風の攻撃技などいろんなキャラクターが技や能力を進化させていました。
赤也も天使と悪魔を弁証法で融合させる青目モードを開眼していましたし、真田も黒色のオーラに加えて風林火山を炎森嵐峰(えんしんらんぼう)に進化させることもしています。
こう見ると「新テニ」を象徴するキーワードに「能力の進化」が挙げられるわけですが、越前リョーマの場合光る打球と10球打ちを会得したこと以外今の所大したパワーアップはしていません

ただ、その割にはプランス王子との戦いで「越前の負けが見られるかもしれない」とかリョーガの「テニスができなくなる」とか、不二戦でも赤也だけが不二が勝つとか言っていました。
そして不二戦では光る打球も含むあらゆる能力をあっさり攻略されてしまい泥仕合に持ち込んだ末の風による狐火球のアウトという運が強く作用しての勝ちなので、真っ向から破っての勝ちではありません
思えばあの試合では経験値不足の金太郎の育成や入江に屈辱を味あわされる跡部様など主要キャラの様々な課題が見えましたが、同時に越前リョーマの限界と課題も見えた気がします。
新テニにおける越前リョーマの限界と課題は「才能」「能力」とどう向き合うのかということであり、これは旧作でも完全に克服しきれていない越前リョーマの課題でありました。

旧作は「勝敗」とどう向き合い「テニスを純粋に楽しむ」という原点を思い出して天衣無縫の極みに到達するという「心」の問題が越前リョーマの課題にして作品全体のテーマです。
だから越前リョーマが戦ってきた相手は全てその時の「越前リョーマのネガ(暗黒面)」を体現した存在であり、それを打ち破っていくことがリョーマの課題でした。
それぞれまとめてみます。

  • VS伊武戦(不動峰):才能ある者の心の隙間(スポット)

  • VS裕太戦(聖ルドルフ):特定の個人への執着

  • VS亜久津戦(山吹):自分の中にある驕り

  • VS日吉戦(氷帝):次世代エースとしての重責

  • VS真田戦(立海):部長から託された者の覚悟

  • VS田仁志(比嘉):力との向き合い方

  • VS跡部(氷帝):部の頂点に立つ者としての誇り

  • VS遠山(四天宝寺):テニスを純粋に楽しむ

  • VS幸村(立海):喪失と絶望の克服

こうしてみると、越前が全戦全勝している理由もわかるというか、何かしらその時の越前リョーマが背負っている課題を相手も同じように背負っていることがわかります。
それらを超えて先に進むことが越前リョーマの進化と成長に繋がるわけであり、だから越前リョーマは負けないでいられるのです、越前が負ける時は何かしら克服すべき課題が示される時ですから。
何より毎日南次郎相手に負け続けていたらいつの間にか負け体質が染み付いており、特に初期はそのせいでテニスに対していまいち情熱を燃やしにくかったのでしょう。
だからこそ初期は手塚がそこで越前の鼻っ柱をへし折って「お前は青学の柱になれ」と言って目標を与えたことで越前リョーマはテニスに対して真剣に向き合うようになりました。

そして幸村戦では最後の心の課題であった「勝敗を超えてテニスを楽しむ」をクリアすることで天衣無縫の極みという高みに到達することができたのです。
越前はこの時既に中学生最強と言われた幸村まで倒してしまったことによって相当な成功体験を積み重ねて得た自信がありますが、一方でまだクリアしていない課題がありました
それこそが「自分の才能(能力)との向き合い方」であり、これに関しては真田・跡部・幸村の3名を通して示されていたことだったのでしょう。
実際真田には「その爆発的な能力を活かしきれていないが故に致命的な反撃を食いやすい」と指摘され、越前がクリアすべき課題の1つが浮き彫りになっていたのです。

また、全国大会では無我の境地を乱発した越前に対して「そんなだからてめえは手塚の域に達せねーんだよ」と言われ、幸村にも「辿り着くのが早すぎた」と言われてしまいます。
越前リョーマが真田戦以降の格上の対戦相手と戦うことで見えた「心」とは別の課題、それは「持っている力(=才能)との向き合い方」だったのではないでしょうか。
そしてそれこそが新テニに持ち越した越前リョーマの試練であり、だからこそ最初の段階で徳川カズヤに負けて三船監督の元に行く必要があったのだと思います。
もう既に天衣無縫の極みまで持ってしまっている以上、高校生も含む日本代表の中で越前リョーマが勝てない相手はそこまでいないのではないでしょうか。

新テニに入って鬼・徳川・入江や世界を知る者たち、特にデューク渡邊や10円先輩と出会っても越前リョーマ自身のモチベーションはそこまで上がりきらなかったように思います。
実際負け組から復活してきてしばらくの間越前は楽しそうにテニスしている感じはなかったのですが、それは天衣無縫の極みに到達して光る打球まで習得したことで限界が見えたのでしょう。
徳川と10円先輩との戦いで合宿を敢えて退去になることでリョーガと共にアメリカに渡って自分を変えようとしたけれど、それでも彼のモチベーションが大きく変わることはありませんでした。
今年放送された新作アニメでも手塚はそんな越前の心の迷いを指摘していましたが、それはどんどん強い異次元テニスばかりが出てきても越前自身はさしたる興味がなかったのかもしれません。

旧作の越前は手塚に負けたことで自分が井の中の蛙大海を知らずであったことを知ってから真に勝ちたいと強さを目指すようになったのですが、そんな中で誰よりも早く天衣無縫の極みに到達してしまったのです。
しかも「勝ち負け」の概念から解脱してそこまで行き着いてしまった以上、単に強くなって相手を倒すことに虚しさを感じてしまい、自身もこれ以上強くなれないと思ってしまったのではないでしょうか。
越前が再び日本に戻って戦う決意をしたのはまだやり残したことがあるからであり、また竜崎桜乃との再会やプランス王子との対戦といった「背負うべきもの」が目の前に現れたからです。
そのプランス戦では光る打球を編み出すも攻略されてしまい打ち返され医務室に運ばれるという、「才子才に倒れる」を地で行くような展開になってしまいました。

そこで図らずも桜乃を守るという外的動機もあって何とかテニスを続けるモチベーションを取り戻した越前ですが、今度は不二との再戦で自分の技を天衣無縫含め全て攻略されてしまいます。
そして決勝戦のS2で対決するのはその「才能(能力)を奪うテニス」をする兄のリョーガですから、ここまで見てようやく新テニにおける越前の課題が見えてきます。
テニスの能力・センスになまじ恵まれ過ぎている越前はそれがどれだけ凄いことかに無自覚で、だからこそ自分の持っている力と向き合い定着させることを怠ってきました。
それこそが真田の「爆発的能力を生かしきれていない」や跡部の「手塚の域に達せない」、幸村の「辿り着くのが早過ぎた」「君は危険すぎる」の意味するところだったのでしょう。

越前って目の前の相手が強いことに驚いたり苦労したりはしても「こうすれば返せるでしょ?」でなんとかして、だから本当に大切な「力との向き合い方」がわからないまま勝ち続けてきました。
不二とはそこが似て非なる部分であり、不二も「こうすれば返せるでしょ?」タイプなのですが、それ故に弟に劣等感を植え付けてしまったり本気で勝ちに行けなかったりしたのです。
だからその「力との向き合い方」を乗り越えた不二と越前の対戦は単なる伏線回収でもかっこいいからでもなく、お互いに克服すべき課題を浮き彫りにする意味があったのでしょう。
徳川への敗北とプランス戦・不二戦で見えた越前リョーマ限界と課題はまさに「才能とどう向き合うか?」であり、それが見られるのが決勝のスペイン戦という気がします。

しかしそれを考えると、そんな越前の壁となって立ちはだかって越前を増長させないように成長させてきた手塚はプレイヤーとしてだけではなく指導者としても優れた人だなと思います。
そういう人が部長だったからこそ越前も真っ直ぐに成長して天衣無縫の極みに到達することができたのだなと。

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