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『電子戦隊デンジマン』第5話『壁に蠢く赤い毒花』

◼️『電子戦隊デンジマン』第5話『壁に蠢く赤い毒花』

(脚本:上原正三 演出:広田茂穂)


導入

ヘドリアン女王のバーター2人

「鏡よ鏡、世界で一番美しいのはだあれ?」

相変わらず今日もヘドリアン女王の自画自賛ぶりとご機嫌取りに終始する部下たちの描写が目立つわけだが、正直部下たちも内心呆れ返っているのではないか?
特に鏡を出すくだりの手慣れた感じから察するに「今日もこれか」という感じだから、ベーダー一族なんて所詮はヘドリアン女王がいなければただのカスということになるであろう。
実際終盤の展開などは物の見事にそれを証明していて、実際のところ作戦指揮は部下たちが取っているから、女王は基本的に王座で踏ん反り返って子供みたいに喚き散らすだけ。
寧ろこれでなぜデンジ星を滅ぼすことができたのかがわからないくらいだが、今回もそんな女王のへそ曲がりから起こったような怪奇事件となっている。

5話目にしてようやく初の赤城一平メイン回が来たわけだが、そのメイン回がなぜよりにもよって植物回だったのかは甚だ疑問であり、あまり面白味はない。
お話としても演出的にも全体的に精彩を欠いており、よくもまあこんな杜撰なクオリティに仕上げたものだと思うが、これでは故・山本弘に批判されても仕方ないであろう
全体として何をメインにして見せたいのかが不明であり、ピントのずれた出来になってしまっているのだが、これは決して脚本のせいだけではないだろう。
後述するが、広田茂穂は前作といい本作といいサブ演出で参加しているものの、そんなに高く評価できるような監督ではなく、優れたショットは撮れない人である。

お話の方も赤城の教え子が住んでいる団地で発生する怪事件なのだが、これだったら別に赤城メイン回である必要はどこにもないだろう。
そういうわけで、この回の評価としてはE(不作)100点満点中35点であり、どこがどう良くなかったかを徹底的にダメ出しする。
やはりダメだと思うべきところはしっかり指摘してこそ、本当のスーパー戦隊ファンというものではないか。

植物が敵として出てくる回は基本的に面白くない

こんな変な植物を育てる偏屈爺さん

まず、本作に限らないのだが、特撮において基本的に植物が敵として出てくる回は基本的に面白くないというジンクスがあり、今回はものの見事それにハマった典型である。
もちろん例外もある、例えば『仮面ライダー』の市川森一が唯一脚本を担当したサラセニアン回や東宝映画だと『ゴジラVSビオランテ』は今見直してもそれなりに面白い。
しかし、スーパー戦隊シリーズに関していえば、植物モチーフの敵が出て来て面白かったなどという記憶は私個人の中にはないし、また感想を調べても面白いという話は聞いたことがないのだ。
何故なんだろうと思ったわけだが、理由として考えられるのは動物モチーフの敵と比べて動きなどがあまり面白くなく、作戦としてどうしても地味にならざるを得ないからではなかろうか。

また、今回の場合は怪人のデザインも能力もそんなに特殊なものではなく、精々が毒と触手しかないので、いわゆるバトル方面の方も大して面白みがあったわけではない。
強いていえばあのデンジレッドが蔦で絡まれるところの絵だけは妙にシュールなものがあったのだが、等身大も巨大戦も特筆してこれといったものはなかった。
こういう「特別に悪いわけでもないが、かといって特筆すべき箇所もない」といったところの方が評価は難しく、書く文章にも熱量が乗ってこない。
脚本にダメ出しをするのであれば、赤城と教え子の話が今回の植物怪人とはなんの関連性もなかったことであり、ここは上原正三脚本の悪い部分が出てしまっている。

ここだけ見ると勘違いしそうだが、あくまで任務依頼できている

しかも赤城に関しても、いくら同じ職場だからって水泳を教えているあきらのところへ無断で入っていきなり任務を依頼するというのもどうなのであろうか?
黄山とセットで動くことが基本だったので珍しい場面ではあったが、これがヒーローものじゃなかったら赤城は不法侵入の変質者扱いされても不思議ではない。
デンジマンという作品の難しいところは、いわゆる「一般人の素人」という設定が設定だけにとどまっていて作劇の方にあまり活かされていないことにある。
そうしたことと併せて本作の良くないところが裏目に出てしまう形になってしまっているのは今日見直すとこの当時の限界を感じさせるようだ。

広田演出は可もなく不可もなし

意味不明なラストの海演出

今回担当する広田茂穂に関しては可もなく不可もなしといったところであり、竹本弘一の絵作りをベースにあまり大胆な挑戦などはしないイメージがある。
団地に侵入するくだりのカメラワークなども含めて、撮影の基本は踏襲してあるようだが、サブ回であればもう少し演出面でアクセントをつけてもいいのではないか?
戦闘シーンでも再生と逆再生を用いた竹本演出のベタな模倣でしかなく、監督ならではの個性というものがあまり感じられなかった。
その上でダメ出しをするのであれば、やはり赤城が空手を教えるところなのだが、遊園地はともかくどうして港付近で教えているのかは謎である。

5人の職場が全く同じ感じがしないと3話感想で批判したわけだが、これはどうやら大人の事情で遊園地や野球場で撮影してほしいというスポンサーの要望があったそうだ。
まあ確かに当時は野球全盛期だったし遊園地は子供の娯楽として賑わっていた時代だが、最後の港で空手を教えるシーンに関しては何の意図があってああいう撮り方をしたかわからない
赤城が海に落ちそうになるという演出をやたらコミカルにやっていたが、そういうのは青梅の担当であって、赤城はあまり崩さない方がいいキャラクターではないのか?
そういえば団地に侵入するところでも同じように赤城がやっていたが、上原正三はともかく広田監督はどうにも赤城と青梅を似たような役割として描いている節がある。

ここがおそらく脚本と演出の間でコンセンサスが取れていないところであり、ロケーションもそうなのだが、まだまだこの時代の東映は円谷に敵わない。
一昨日の晩、久方ぶりに親友の翔さんと昭和特撮について話をしたのだが、この当時の東映特撮は脚本はもちろんのこと撮影・演出のクオリティーがまだまだお粗末である
だから早回しやジャンプカットでスピーディーに見せているわけだが、もっとじっくりと画面それ自体で見せる演出を心がけるべきであり、まだまだ荒削りな感は否めない。
これが『鳥人戦隊ジェットマン』という革新を経て『星獣戦隊ギンガマン』まで行くと撮影・演出面のクオリティもまともになってくるのだが、黎明期の東映特撮はまだまだだなあ。

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