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『電子戦隊デンジマン』第10話『魔法料理大好き!?』

◼️『電子戦隊デンジマン』第10話『魔法料理大好き!?』

(脚本:上原正三 演出:広田茂穂)

導入

今だとこれが「タピオラー」にでもなるのだろうか?

「焼きたてのハンバラーめにございます」

ハンバーガーをモチーフとしたベーダー怪物が出てきたということは、みなさんお察しの通りあんぱん大好きのデンジブルー・青梅大五郎の回だ。
あきらを特徴づけるものが「ダメ男」ならば、青梅の場合は「食べ物」であり、後半でも実は食べ物をめぐって重要な話が展開されており、今回はその方向性を決定づけたものであろう。
1980年代に入るとハンバーガーは一般大衆の嗜好品として定着しつつ、徐々に高級品として差別化も図られるようになっていくのだが、そこを狙ったものだったのではないか。
子供たちやたらと食いついていたが、私もそういえば子供の頃は親にマクドナルドやモスバーガー・バーガーキングに連れて行ってもらえるだけではしゃいでいた記憶がある。

とはいえ、この回自体はお話としてはあまり面白味のあるものではなく、よくありがちな海老で鯛を釣るタイプの作戦なので、新鮮味はないといえるだろう。
その分演出家の広田茂穂の遊び心がいろんな形で炸裂しており、豊かな細部を楽しむことこそが今回を面白く見れるかどうかの鍵であるともいえる。
個人的には一箇所だけどうしても受け入れられない描写があったわけだが、そこの部分以外は概ね楽しむことができたので評価はまあ及第点といったところだ。
今の時代はハンバーガーではなくタピオカあたりだろうから、やるとしたらハンバラーではなくタピオラーあたりが誕生してタピオカで洗脳する作戦となりそう。

食べ物・飲み物を用いて大衆心理を操作するというのは古今東西使われているありふれたものなのだが、いわゆる車で宣伝というのがこの時代らしいところか。
今だったらそんなことをしなくてもECサイトや「インスタ映え」などを用いたSNS戦略を用いて展開することになりそうだから、そういう意味でもネットがない時代のネタとして楽しむべきか。
コメントでも言われていたが、ベーダー一族はデンジ星を環境汚染で滅ぼしたとんでもない奴らなのに、地球に来てやってることが地域密着型のテロリズムというのがギャップとしてある。
作戦の幅は豊かで広いのだが、作戦の規模感自体はあまり広くはなく、どちらかと言えば作戦の「質」と「種類」を変えることによって飽きさせない工夫をしているのだ。

ハンバーカー作戦とは要するに麻薬漬けである

踏み荒らされる子供達の給食

まず結論から言えば、ハンバーガーという食べ物に名を借りているが、やっている作戦の中身はとんでもなく凶悪な「麻薬漬け」であり、明らかに食べ物による洗脳の領域を超えている。
子供達も青梅ももはや「ハンバーカーが欲しい!」と言って他の食べ物を拒絶したり、あるいは美しい花を潰したりといった明らかな禁断症状と色覚異常に襲われていた。
特に禁断症状に関してはもはや「クスリが足りねぇ」と似たような感覚に陥っており、コミカルに描かれているが本質はゾッとするような作戦である。
ハンバーカーをいわゆるあんぱん(シンナーのこと)に置き換えてみるといい、まんま麻薬漬けにされてしまう青梅と子供達という風になるだろう。

有名な話だが、青梅大五郎が大好きな「あんぱん」は隠語で「シンナーを吸うこと」を意味しており、特に東京都の足立区などの治安が悪い下町でこれが流行していた。
実際、同時代にジャンプ漫画で連載を開始した車田正美の「リングにかけろ」でも、上京した高嶺竜児が入学した中学校では同級生の女の子があんぱんする描写がある。
無論上原正三をはじめ作り手はそんな裏のことまで意図して青梅大五郎=大葉健二があんぱん好きであるという設定を盛り込んだというわけではないだろう。
たまたま役者があんぱん大好きだったのが今回の話に繋がってしまっただけなのかもしれないが、意図しないところで隠語の方の「あんぱん」と繋がってしまった

さすがにそれを感じさせてはまずいのか、子供達にはもう1つ「色覚異常」という設定を加えることで露骨な「麻薬漬け」の描写とすることを避けていたようだ。
特に青梅の方に関しては完全に薬物をキメている人のような感じで、ことと次第によっては逮捕されてもおかしくないような演技となっていたのだ。
子供達の食欲を利用しての作戦だったとはいえ、脚本だけだったら通俗的なものになりかねないところを、演技と演出で膨らましている。
映像作品の面白さとは思えばこういうところにあり、文章で書けないものや感覚をいかに出すことができるかという「画面の運動」にあることを再認識できるのだ。

後天的な色覚異常の演出

子供達の目には赤しか映らない

ハンバーカーを食べた時に一番面白かったのは後天的な色覚異常の演出であり、フィルムに赤いフィルターをかける演出がとても個性的で面白い。
高校時代に生物を勉強していたこともあって少しだけ知っているのだが、色覚異常にはいわゆる先天的な色覚異常と後天的な色覚異常の2種類に大別される。
前者の場合は大体遺伝で生まれた時から色彩感覚に異常があるというものだが、今回はハンバーカーによってそれが引き起こされているので後者であろう。

こちらに色覚異常の原因と種類がまとめられていたが、今回の場合はハンバーカーを食べた結果として子供達の目は赤一色になってしまっていた
考えられる種類としては緑錐体と青錐体が完全に欠けた「赤錐体1色型色覚」ということになるわけだが、逆に言えばハンバーカーには緑錐体と青錐体を破壊する力があることになる。
食べ物で神経破壊というと香辛料が考えられるわけだが、ハンバーカーには食すだけで神経を完全に破壊してしまう危険物質が含まれていたということになるだろう。
さらには禁断症状まで引き起こす麻薬に近い物質まで含まれていたわけだから、もしかすると作り手はこれらの演出を通してファストフードへの警鐘を鳴らしていたのか?

いずれにせよ、今回は映像面でも役者の演技としても広田監督が目一杯遊んだ感じが画面の細部として打ち出されており、最後はなんと学校の教室までも飯テロの現場となってしまっていた。
子供達にとっての「日常」として機能すべき場所が非日常として現れる悪の組織によって食べ物という卑近な形で乗っ取られてしまう描写はまさにこの時代ならではのものを感じる。
というのも、コロナが発生してからはいわゆる「共同体」としての役割を学校も会社も喪失してしまったので、まだ共同体の存在が有効だった昭和の良き文化であろうか。
今やすっかりハンバーガーを食べなくなってしまったからつい忘れていたが、ハンバーガーが人体によくないことをこういう形で演出したのは非常に面白い。

つまり現代人はいかに「食べ物によって殺されているか?」を映像演出によって表象しているわけであり、広田監督は「撮影」ではなく「演出」の人であることが窺える。

食べ物を粗末にする表現はNG

こういう露骨な演出はNG

ただし、いわゆる映像演出も含めた作品としての良し悪しや好き嫌いといったものを遥かに超えたそれ以前の問題として、個人的にどうしても許せなかったことが1つだけある。
それはこの画像にもあるように、赤城道場の教え子の一人がせっかく黄山の作ったハンバーガーを床に投げ捨ててしまう演出であり、意図的にとはいえこれは許せなかった。
食べ物を粗末にするやつがあるか!」という赤城の説教が入っていただけマシだが、食べ物を粗末に扱う人が根本的に私は大嫌いであり、それは現実でもフィクションでも同じである。
また、花を勝手に千切る演出もあるのだが、もしかしてこの描写の経験から翌年の『宇宙刑事ギャバン』の二番の歌詞「名もない花を踏みつけられない男になるのさ」が誕生したのか?

いや、たとえ名がある花だろうと踏みつけてはならないのだが、禁断症状の現れとはいえ食べ物や花といったものをいたずらに粗末に扱うことを子供がしている描写は受け付けない
露悪的な演出にしては過剰であり、こういう過剰な演出をどの程度許容できるかにもよるのだが、画像で見せたこれは明らかに許容範囲を逸脱していた。
おそらく私が赤城の立場だったとしたら公衆の面前であろうが構わずその横っ面を張っ倒して小一時間は詰めていただろうし、またこれに関しては演出家も問い詰めたいところである。
多少の下品さは表現として受け入れるにしても限度というものは間違いなくあって、食べ物に対する粗末な扱いは明らかに私の中でレッドゾーンを振り切ってしまった。

人間の三大欲求の1つである「食欲」はすごく根源的なものであるが、その根源的なものをどうやって創作の上で表現するかに関しては細心の注意が必要である
匙加減を間違えてしまうと今回のようなことになってしまうわけで、今ではもっと酷い飯テロが半ば日常茶飯事となってしまったが、その始まりであろうか。
この部分さえどうにかしてくれればもっと高く評価できただろうが、これのせいで大幅に減点されてしまい、最終的な評価はC(佳作)100点満点中60点になってしまった。
思えばもうこの時から少しずつ人々の心の中にある「醜悪」が部分的に顔を出しはじめていたのではないかと思えてならない。

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