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六角中学の1年部長・葵剣太郎が天衣無縫の極みに覚醒できない理由

天衣無縫の極みに到達するにはとても高いハードルがあり、それを悉くクリアしなければならないというのは以前より何度もここで考察しています。
その時に私は「楽しさしか知らない原作時点での四天宝寺や六角のメンバーでは天衣無縫の極みに到達することはできない」と書きました。
ところが、ネットを見て回ると「新テニ」まで含めて未だになぜ六角中や四天宝寺の遠山以外のメンバーが天衣無縫の極みに到達できないか理解・納得できていないという意見があるようです。
なぜそんなイメージがあるのか調べてみると、どうやら「ミュージカル テニスの王子様」の六角の「コートで会おう!」の歌詞が大きく影響しているのだとか。

「コートで会おう!」には確かに天衣無縫の極みの最大の条件である「楽しさ」について触れられている歌詞がございますので引用してみましょう。

楽しむためのテニス
子供の頃から今まで
好きだからこそ 上手くなりたい
忘れるなポリシー

確かにここだけを見れば天衣無縫の極みに近いフレーズが並んでいますが、ここに書かれているのはあくまでもテニスの「楽しさ」のみです。
また、直後には「勝つためだけのテニス」と今度は立海大付属の「常勝」や四天宝寺の「勝ったモン勝ち」に近いフレーズが出てくるのです。
そう、六角は非常に明るいイメージがありますし人柄のいい校風ですが、一方でテニスに対する姿勢自体はとてもシビアなものでした。
だからこそ一回戦負けとはいえ全国大会まで行けたわけですが、こうみると六角中学の中で天衣無縫の極みに到達しても良さそうなメンバーはいてもおかしくないでしょう。

六角に関しては試合描写が青学の3試合以外ではガッツリ描かれていないのですが、天衣無縫の極みに目覚めてもおかしくないとなるとやはり1年にして部長の葵剣太郎でしょうか。
青学の越前リョーマ、四天宝寺の遠山金太郎と1年生ズが覚醒しているので六角なら剣太郎が1年生というのもありますし、試合を見ても剣太郎が一番テニスを楽しんでいるよでした。
剣太郎が試合した相手は青学2年の次期部長・海堂薫だったのですが、その試合内容はよくよく見ると「テニスを楽しむテニス」とは程遠いものです。
「楽しむためのテニス」と「テニスを楽しむ」は似て非なるものなのですが、剣太郎と海堂の試合を見ればなぜ彼が天衣無縫の極みに到達できないのかわかります。


このコマを見てもわかるように、剣太郎は敢えて最初の5ゲームを落とし相手に華を持たせてプレッシャーをかけてからの逆転を狙っているのですが、これ自体は他のプレイヤーも割とやっています。
たとえば立海も全国で赤也を覚醒させるために準決勝でわざと2ゲーム落としていますし、それこそ青学だと不二周助がこのプレイスタイルをよくやっているものです。
しかし不二のやり方が意図的な「持ち上げて落とす」戦法であるのに対し、葵剣太郎はそういう状況に追い込みさらに自分に条件付けをして闘争心を高めています。
「女の子とチュー」なんてふざけた曲名で誤解しがちですが、剣太郎のテニスの本質は自分をプレッシャーに追い込んでからの大逆転というやり方です。

そこに等身大の中学生らしい思春期の「女の子にモテモテ」「この試合に負けたらブスに3年間言い寄られる」などと女の子がらみの妄想癖が絡んでいるのでしょう。
それ自体は悪くないのですが、「テニスの王子様」という作品でこんな風に自分に制限をかけるやり方は天衣無縫の極みの本質から遠のいてしまいます
確かに意図的に自分をプレッシャーに追い込んで逆転勝ちできる才能は凄いですが、剣太郎に足りないのは「相手がそれ以上に強かったらどうするか?」という対策です。
しかも対戦相手は同じように土壇場のプレッシャーに強い海堂であり、その海堂の粘りによって体力や判断力・精神力をごっそり削られた剣太郎は負けてしまいました。

こんなことを言っては何ですが、海堂は青学のレギュラーメンバーの中ではお世辞にも全国区とは言えない中途半端な強さであり、「新テニ」では完全に空気化しています。
その海堂に負けてしまう時点で剣太郎の底が見えてしまいますが、ではそんな剣太郎に海堂が才能で劣っているかというとそうではなく、恐らくは「意識の差」がそうさせているのでしょう。
描写自体が少ないため何とも言えませんが、剣太郎はおそらく海堂と出会うまでは自分を追い込めば勝てる同格か格下クラスしか相手した経験がないように思えます。
どんどん格上に挑んで勝ち成功体験を積み重ねることで更に上を目指すという向上心が越前や遠山に比べて極めて薄く、そりゃあ海堂に負けて当然でしょう。

確かに格上の相手に底力を発揮して逆転勝ちを収められたらカッコいいですが、それは格上と戦った時に自力で限界を超えようとするから成り立つのです。
越前が天衣無縫の極みに到達できたのは特に立海大の真田を下して大金星を掴み、更に跡部まで倒すといった経験を積んでいることが大きく影響しています。
そうした壮絶な戦いを経て勝つために追い詰めた自分の壁の向こう側にあるのが天衣無縫の極みであり、それにはまずとことん勝つまで貪欲に己を鍛錬せねばなりません
剣太郎はその「逆境に自分を追い込む」ことの意味を履き違えてしまい、「女の子とチューしたい」という下心を満たしたいがためにテニスや青学、更には部長としての立場を利用したのです。

明るい顔して爽やかにゲスいことをやっているのが六角の剣太郎で、要するにやっていることはヤムチャと同じあり、そりゃあ全国一回戦負けして当たり前ではないでしょうか。
本当のプレッシャーとは自分がどうしようもない状況に追い込まれた時にどうすれば勝てるかを限界を超えて模索することであり、剣太郎は海堂に追い詰められた時の切り返しの策を持っていませんでした。
そしてここまで書くともうお気づきでしょうが、「テニスの王子様」には剣太郎と同じようなことをして格上相手に負けてしまった相手がいますね。
そう、四天宝寺中に転校し、無我の境地の扉とその先にある「才気煥発の極み」まで開眼しながら自分にリミッターをかけてしまった男・千歳千里です。


彼は準決勝で本物の天才である青学の手塚国光と戦ったわけですが、手塚は戦いの中で才気煥発の極みを開眼させ百錬自得の極みと共存させて千歳を超えました。
才気煥発の極み同士の場合は純粋に実力がある方が勝つことになるわけですが、この試合の千歳の敗因は思い込みや条件付けで自分にリミッターをかけてしまったことです。
剣太郎がやっていたことはこれの下位互換であり、意図的にプレッシャーに追い込みコードボールを入れて確実に勝つという実に狡い戦法で戦っていました。
とても純粋にテニスを楽しんでいるとはいえず、そりゃあ天衣無縫の極みに到達できないのはもちろん無我の境地の扉すら開くこともできないわけです。

流石に「新テニ」で六角が天衣無縫の極みに目覚める展開はないでしょうが、改めて考察してみると六角って明るさとは正反対にプレイスタイルが実に狡猾でした。
そんなやり方しかできない時点で青学に勝てるわけもないし、比嘉にボロボロに負けて一回戦敗退してしまうのも無理はないでしょう。
まあそもそも剣太郎のビジュアルと中身で天衣無縫の極みに到達されても全然かっこよくも何ともない、というのが一番の理由だと思いますがね。
なんだかんだいって天衣無縫の極みに目覚めた人たちは外見も内面も規格外の天才イケメンばかりですからね、剣太郎がこの領域に入れるわけありません。

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